新宿

 新宿の歌舞伎町の方から、西口に抜けるガード下の道を、知美はこちらの方に歩いてくる。このあたりは、看板だらけだ。その雑多な感じはアジアの都市を少し思わせる。日本もアジアだが。
 
 中原知美はフリーランスのグラフィックデザイナーだ。しかし、最近はDTPなど、コンピューターを使ったパンフレットやチラシなどの事務的な仕事が多く、クリエイティブな仕事はあまりない。時々、コンピューターに向かっていてとても消耗している自分に気が付く。翌日になってもすっきりと疲れが取れない嫌な疲れ方をしていると思う。でも、それでなんとかサバイバルしている。仕事があるだけましなほうだ。友達の龍介はニューヨークのアートスクールに行っていて、センスもそう悪くないのに、仕事がないらしい。
 
 もっともあいつは、鼻っからデザインなんかには興味があまりないんだろう。龍介はそんなことはない、と言っていたけど。

 JRの改札の前の喫煙所付近は浮浪者の溜まり場になっている。いつも見るレゲエの帽子を被った浮浪者が、何かお腹を抑えて苦しそうにしているけど、関心を払う者はいない。新宿駅は、そこにいるだけでパワーがいる場所だなと思う。龍介の奴もあんまりのんびりとしていては、あの浮浪者の仲間入りになりかねないのでは、と思うけど心配はしないことにしている。

 今日は龍介たちと会って、制作中の映画のミーティングをすることになっている。最初、龍介を含む友達四、五人で東京を中心に低予算でロードムービーを作くろう、とゆうことで始めたのが、早くも制作がとどこおっている。ハリウッドのようなスタジオがないのなら、フルロケーションで撮影すればいいじゃないか。あとは内容やセンス、アイデアさえよければ、おもしろい作品ができるのではないか、とゆうことで始めのたが、撮影に適した、絵になるロケーションがなかなか見つからないのだ。

 龍介はインディペンデントの映画の制作の経験がある。龍介は言っていた。ニューヨークに行く前に一度、東京をテーマにした短編映画を作ってみたら、最も東京の風景に適した出来事は、神秘主義とテロリズムだとゆう結論に達したと。
 その映画を実際見さしてもらったけど、確かに何か暗いところで火を燃やす魔術の儀式の様な映像と、電車に乗った人達をとても失礼な感じでゲリラ撮影した映像が交互にでてきたあと、カオスの様に狂っていくようなイメージの映画を龍介はオウム真理教の地下鉄サリン事件が起こる何年も前に作っていた。そして、その映像は何かとてもリアルものを含んでいる様な気がした。あまり好きではなかったけど。

 龍介はオウム真理教の地下鉄サリン事件が起きた時には東京にはいなかった。ニューヨークのアパートであの事件をテレビで見ていたらしい。もしかして、ああゆう事件が起こることを予測して、東京から逃げてニューヨークに避難していたの、と聞いたら龍介は、そんなことはない、と言っていた。

「ニューヨークに行くことは前から計画していてそれとは全く別の理由だよ。実際、あの映画を制作していた時には、まだバブルで株もまだ下がっていなかったと思う。何年も先の未来の事なんか誰にもはっきりとはわからないわけだし。あの頃、首都圏を六十分以内で配達するバイク便の仕事をしていて、一日中ものすごいスピードでオートバイで十時間も走っていると、交通事故ってゆうのは、案外簡単によく起こるものだ、とゆうことが実感できたんだけど、その仕事は毎日じゃなかったけど、契約で二年ぐらいやっていたのかな、フルコミッションで。その二年の間に同じ会社の人間の中で起こった大きな事故は、脳死と内臓破裂と足首切断。軽い接触事故なら毎月、いや毎週起きていたかもしれない。おれも二、三回軽い事故をしたし。べつに打撲ぐらいで体にはたいしたダメージはなかったけど、バイクは壊れたよ。修理したり、あとプレス減りってゆうんだけど、変な形にタイヤが消耗して買い換えたりして乗ってだけど、結局メインテナンスをきちんとする時間と気力がなかったのと、エンジンの回し過ぎでバルブが壊れて二年でオートバイ一台がつぶれてしまった。それでも、普通のアルバイトとかやるよりは全然稼げたと思うよ。仕事は沢山あっていつも忙しかったし。うまくいけば、一日で三万円以上手取りで稼げる仕事はそんなにない。時間も自由に組めるし。でも、ベテランで何年もやっていた人が人身事故を起こしたのと、バイクが壊れたのでその仕事は止めることにしたんだ。あと、一日中何時間もオートバイで走っていると、偶然事故の現場を通りかかったりすることが何回かあった。
 それで、ある一定の速度や量みたいなものを超えると、交通事故が起こる確率みたいなものは、案外、普通に考えている以上に高くなるものだ、と思っていたんだ。
 それで、あの短編映画を作っている時に、神秘主義や新興宗教が犯罪を起こすことも全くリアリティがないことではない、と思ったんだ。新興宗教は八十年代後半からすでに、ブームになりつつあったし。ジャーナリストや日本赤軍の事件や、チャールズ・マンソンの事件を知っている世代の中には、新興宗教の危険性を言う人は結構いたと思う。

 でも、本当にあんな地下鉄サリン事件の様なのが本当に起ってしまうと、びっくりしてしまうよ。あんな残酷で、気持ち悪いことをやっていた集団は、世界中探してもいないと思うよ。世界史の中でもあんなのはないかもしれない。本当に気持ち悪いよ。」

「気持ち悪い。確かにそれは言えている。ほら、犯罪者には何かある種の行動力とか、勇敢さみたいなものが感じられる時ってあるじゃない。『狼たちの午後』のアル・パチーノみたいに。静まりかえった銀行で、いきなりプレゼントの紙箱からライフルを取り出すみたいな、本当は良くないんだけど、ビジュアル的にはカッコよかったりするじゃない。でも、オウムの場合は、ビニールに入ったサリンをこっそり置いていっただけでしょ。あれは本当に陰湿な感じでどうしようもないわ。
 でも、世界史の中で考えたら、戦争とかのほうが全然残酷でしょ。全然人がたくさん死んでいるわけだし、残酷だとゆう点では変わらない、と私は思うの。
 オウムの場合は事件とゆうか、大きくとらえても内乱ぐらいにしかならないから、とてもひどい事が起きたように思えるのかもしれないけど。」

「うん、アメリカでも自分の国の中ではOJ・シンプソン事件の様に、たった一件の殺人事件の為に一年以上、あれは暴動を抑える為とはいえ、延々と裁判をやる。でも、イラクなんかでも飛行禁止区域を通過しただけで、すぐミサイルを発射したり、空から爆弾を落としたりするからね。あれは、おれにもいま一つわからない。ああ、それとまだ日本の新聞とかたまに読んでいると、「世界の警察を自認するアメリカは…」みたいに言っている人がいるけど、少なくともクリントンは何年も前の演説で、『アメリカは世界の警察ではない。』とはっきり言っていたと思うよ。軍事力の使用はアメリカのインタレストによると。政権が変わったらその国の方針は変わるんだね。案外、日本で一流とされているメディアでもいい加減かもしれない。」

 また、龍介はニューヨークから帰ってきた時、東京の風景は何かほとんど肉体的にダメージを与える、暴力的なものがある、とかわけのわからないことを言っていた。そして、東京の建物を見ていたら、何かにとても似ていると思っていたら、それは仮設住宅だと思ったとゆう。神戸の仮設住宅に、東京の家は似ている?ふざけやがって。でもそう言えば、ずっと昔、子供の頃、七十年代か八十年代に母が、『外国の人が日本に来たとき、日本人はテレビも、洗濯機も、車もみんな持っているけど、うさぎ小屋に住んでいる、て言うんだって。』と言っていて、何のことだかいま一つわからなかったけど、そうゆうことだったのか、と少し納得した。
 
 知美はしばらく改札の中に吸い込まれていく人の流れや、構内の中を歩いている人達をぼんやり眺めながら、何か物思いに耽っているような感じだった。
 でも、それはほんの短い時間のことで、ジーンズのお尻のポケットから財布を取り出して、紙幣や仕事で必要なものを買った領収書とか、色々な物がいっしょに入っている中から、イオカードを見つけだすと、軽快なリズムで歩きはじめて、パスのようにカードを入れて自動改札を抜けた。切符切りの駅員さんが一人もいなくなったのは、何年くらい前だっただろうか。

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