中央線


 新宿駅のコンコースを抜けて、中央線の下りのホームまで来てみると、あまり人ごみもなく、楽に座れる電車に乗ることができた。
 
 土曜日の午後一時過ぎ。知美は午前中、取り引き先の広告代理店に直接、昨夜仕上げた仕事を持っていったあと、東口にある書店と数週間に一度は必ず行くことになる、西口の大きな五階建てのパソコンショップに少しよって、必要な買い物をしてきたところだ。知美は吉祥寺に住んでいるが、今日はそれより五つほど奥の駅で降りて、福原龍介の住む国分寺まで行くことになっている。

 電車が発車してしばらくは、三か月ほどかかって今日でようやくひと区切りついた仕事のことを思っていたが、中野を過ぎたあたりから振り返って、窓から見える景色をぼんやり眺めながら、もう一度、龍介の言っていた事を思った。

 仮設住宅か。電車からはいつも見慣れた家、マンション、専門学校、会社のビルなどが、ずうっと遠くまで続いている景色が見える。安全な感じはいいけれど、やっぱり少し平凡とゆうか、何もイメージが湧いてこない。外国から来た人が、日本の住宅地を歩いたりして、何か異国情緒の様なものを感じたりするだろうか。ゴミゴミとした街中でも、経済が成長し続けていたころは、それはそれで良かったのかもしれないけれども、どうも最近はあらが目に付く様な気がしないでもない。
 
 東京は一度、第二次世界大戦の時に空襲で焼け野原になった後、急速に復興した都市なので、ヨーロッパやニューヨークのような十九世紀のアパートメントや建物が多く残っている町並と比べると薄っぺらく見えてしまうのかもしれない。

 五十年前はここが焼け野原だったなんて信じられない。まったくそのかけらも表面的には見ることができない、と思い込んでいたほうがおかしかったのかもしれない。

 絵でも、何回も重ね塗りしていった絵と外で一日で描いた絵では全然違う。一度、白で下に描いてあった絵を完全に塗るつぶして、乾いてから描いた絵でも、真っ白なキャンバスに最初に描いた絵とでは、微妙にタッチが変わったりして違うのだ。近づいてよく見るとキャンバスの網目が見えたりする。クリエイティブのプロセスはほとんどの場合、結果に現われてくる。

 龍介は二十世紀ももう終ろうとしている、東京の街から、東京が焼け野原になったプロセスを見たとゆうのだろうか。

 でも、それはあまりにも暗い物の見方だとゆう気がするな。確かに、築三十年ぐらいの、掃除もあまりされていない様な軽鉄骨のアパートなんかだと、仮設住宅のほうが良かったりするのかもしれないけど、どうなのだろう。アメリカでも東海岸の方はともかく、サンタモニカの白いコテージなんかは何世紀も前から建っているとは思えないし、私なんか夏だったら、コテージに住んでみたいな。

 だいたい日本の家はもともと木でできていたはずだし、エアコンがなかったら石やコンクリートの家なんか、夏なんか暑苦しくてとても住めたもんじゃない。やっぱり風土にあったものじゃないと。三匹の子豚さんのお話では、木の家より、レンガの家のほうが、プルルルル。プルルルルル。あっ、携帯電話だ。

「はい、中原です。いつもお世話になっております。え、ああ、はい、えーと、それはZIPの中のファイルCとゆうファイルの中に入っています。……ええ、ええ、あっ、今電車の中ですけど。大丈夫です。あまり、周りに人がいませんから。……はい、それもすべてファイルCです。……今回その仕事に関してはすべて、デジタルカメラで行ったのでオリジナルはそれがオリジナルです。……はい、はい。すべて、アートディレクターの片山さんの指示です。……はい。できます。Version 5.0です。はい。はい。こちらのコンピューターにすべてあります。……では、そのサンプルはオンラインで送ります。…はい。よろしくお願いします。失礼します。」


 電車は吉祥寺に到着した。六、七人の乗客が降りていき、また変わりに二人の乗客が知美のいる車両に乗ってくる。今日はいつも降りる駅では降りずに、ホームの方に続く景色を座って見ている。

 中原知美は学生時代からもう何年も、吉祥寺の井の頭公園の近くの同じマンションに住んでいる。中央線沿線の学校に通っていて、先輩が卒業して部屋を移る時に、変わりに紹介でとても安く部屋を借りることができたのと、知美と仲のよかった友達がみんな吉祥寺に住んでいたからだ。
 卒業して二年近く都内のデザイン事務所で働いたあと、ある事情があってその会社を辞めてフリーになったのだが、その間もずっと同じマンションに住み続けている。

 吉祥寺は武蔵野市で、東京二十三区の外にあって、電話番号も03ではなく0422なのだが、電車のアクセスがものすごくいいのだ。
 
 JR中央線の快速一本で新宿まで十七分、東京駅まで二十八分で行ける。渋谷も京王井の頭線一本で十七分だ。JR総武線千葉行も吉祥寺に止まるし、地下鉄東西線も乗り入れている。吉祥寺から二駅の荻窪までいけば、地下鉄丸ノ内線に乗り換えることができるし、荻窪は丸ノ内線の終着駅なので、百パーセント座ることができる。吉祥寺は郊外の電車の分岐点なのだ。たぶんそれが、吉祥寺が発展した最大の原因の一つだろう。吉祥寺は今では、新宿、または渋谷までの途中の駅のなかでは、最も開けた街になっている。

 知美の交通手段は、電車の他にはオートバイもある。ある日、近くのオートバイ屋の店先で、黒いホンダのCB250とゆう、少しクラシックな形のオートバイの限定車が新車で売られているのを見つけて、以前からオートバイに乗ってみたかった知美は、何回か店先でそのオートバイを眺めているうちに、どうしてもそのオートバイに乗りたくなって買うことにした。
 免許はオートバイを買ってから取った。知美の知り合いの中にはオートバイを乗っている人はいなかったので、少し店の人のアドバイスを聞いて、教習所に一ヵ月ほど通ってから中型自動二輪の免許を取った。きちんと教習所に通ったら特に問題はなく、スムーズに免許は取ることができた。
 
 もう何年もオートバイには乗っていることになるが、知美の場合は特にオートバイ仲間ができたわけでもなく、奥多摩や箱根のコーナーを走りに行ったり、ツーリングとゆう、長距離のオートバイの旅にも出たこともない。
 せいぜい東京近郊の湾岸道路や、第三京浜で横浜に何回か行った程度で、あとは自宅から気晴しに三十分か、一時間ほどぐるぐると適当に走って戻ってくる、とゆうのがほとんどだ。ずっと学生時代から何かと忙しかったこともある。

 仕事で出かける時は、オートバイはほとんど使わない。吉祥寺は環状八号線の外にあるので、都心からの実際の距離は、やはりかなりあるのだ。
 中央高速を使って道が空いていれば、新宿まで二十分ほどでいけるけど、甲州街道や井の頭通りなどの下道を使えば一時間近くかかってしまう。
 オウム真理教の地下鉄サリン事件が起こった時は、しばらく事件が解明されるまでは、オートバイで仕事先まで出かけていたが、今はまた電車を使っている。
 オートバイだと、道の混み具合でかかる時間がだいぶ違ってくるし、始めて訪れる場所だと時間がどれくらいかかるのか、正確に読むことができない。やっぱり、時間を無駄にしないで、約束の時間に遅れずに到着するのには電車が一番いい、と知美は考えている。

 
 三鷹駅でさらに人がたくさん降りていって、ふと気がつくと、知美の乗った車両はガラガラにすいていた。前の方の車両に乗ったからだろうか。休日の土曜日の午後の下りの電車だからだろうか。車両の前の方におばあさんが一人と、若いカップルが一組いるだけだ。知美は車両の中の一番後ろの席に一人で座っている。
 
 しかし、昼間に、こんなにもすいた電車に乗ったのも珍しい、と思いながら前の方に乗っている人がかなり遠くにいることと、全くこちらの方を見ることがないことを確認すると、知美は横向きになって、電車の長椅子をソファーの様に足を乗せて、少しくつろぐことにした。

 そとはまだ夏で午後の日差しは強く、かなり暑そうだ。でも、エアコンが車内にはあるのでとても快適。まるで、貸切の電車みたいだ。こうして人がいない電車の中全体をよく見てみると、電車の一つの車両とゆうのは、かなり大きな空間だな、と思う。人がいないと窓の外の景色も良く見える。前の方から後ろの窓まで見ることができる。

 しばらくして、知美は首を中央の方に横に傾けて視点をずらすと、今度は車両の両側の窓を、同時に見ることができることにも気が付いた。少しづつ視点をずらしていき、最後に遠くに見える電車の車両の一番奥の方のドアに、一点透視の絵を描くように視点を持っていく。なるべく電車の中から窓の外の景色まで、視界に写っている風景全体を意識的に見てみる。

 そうすると、地上に広がっている街より上の方の高架線を、快速電車がかなり速い速度で走り抜けている、とゆうのがよくわかる。遠くの方には、夏の終りの厚い雲が広がっている。

 そういえば、こんなふうに両側の窓を同時に見たことは、ひよっとするとないかもしれない。もう何年も、数えきれないほど、この電車には乗っているけれど。

 電車に乗って窓の景色を見ているのは、座っている時には、前に人が立っていたり、向かい側の席に座っていたりすると、あまり良く見えないし、前の人が気になったりしてあんまり見なかったりする。それも、正面の向こう側の窓ごしか、すいている時に少し振りかえって眺めるくらいだ。

 一番よく景色が見えるのは、吊革につかまって立っている時だけれど、過ぎていく景色に対して垂直になって見ていることになるので、窓のフレームごしに左右に目を動かしながら、過ぎていく景色を眺めているだけだ。

 知美はいつもの黒のリュクサックの中から、最近あまり行ったことのない場所には、ロケハンのこともあってなるべく持ち歩るくようにしている、少しカジュアルなタイプの一眼レフのカメラを取り出した。知美は仕事によっては、カメラマンやライターをやることもある。

 さっきと同じように、車両の一番奥のドアのあたりを視点にして、一点透視の絵を描くようにもう一度見てみる。金属でできた銀色の窓のフレームが、いくつもいくつも両側に続いているのが見える。その銀色のフレームとは関係なく両側を景色が流れている。

 上下の高さを、一番視界が広がって見えるところで、知美はカメラを構えてファインダーをのぞいてみた。

 やっぱり、ちょっとダメかな。カメラのフレームごしに同じ景色をのぞいても、さっきまでの広がった感じが消えて、視界が狭くるしく見えてしまう。三倍のズームがついているレンズの、一番広角のところにしてみても、やっぱり狭く感じられる。

 カメラは一眼だけれど、人間の眼は二つある。それに、カメラと違って人間の眼は球の形をしていて、視界は百八十度か、ちょっと広めだ。今見た感じでカメラで撮っても、ただの電車の中の写真になってしまうかもしれない。

 でも、とりあえず。知美はどうしようか、少しだけ考えたあと、フルオートからシャタースピード優先に変えて、かなりゆっくりとシャッターが切れるようにセットした。絞りは窓の外の空に合わせた。電車の中は少し暗くなるかもしれない。そして、できるだけ、そとの景色がきれいに流れてくれればいいな、と思いながら、手がブレないように息を止めて、一枚だけシャッターを切った。
 
NENU/NEXT: DISCUSSION 1