『そして愛に至る』をめぐって 2

 女性の映画作家といえば、日本では河瀬直美が、カンヌで賞をとった事もあって、一般的には一番よく知られていて、普通の人は、とりあえず、彼女くらいしか名前は、思い浮かばないのかもしれないけど、日本でも女性で映画制作を試みる人は、以前からたくさんいて、僕にとっては、それほど珍しいことではない。
 イメージフォーラムでも、以前から多くの女性映画作家の作品が上映されていたし、日本の大小ある映画祭でも入賞したりしている。
 ひとくちに女性映画作家といっても、男性の映画作家でいろいな人がいる様に、女性の映画作家もいろいろな人がいる。

 八十年代の終り頃、MoMAの女性ビデオ・キュレーターがきて、イメージフォーラムの審査員をやっていた年に、映画祭でメレディス・モンクの『ブック・オブ・デイズ』という映画が上映されたのだが、僕はその時、その作品がすごく気に入ったので、名前を覚えておいて、ニューヨークにいる間に、少し調べたりしていた。
 それで、モンクは映画作家というよりも、パフォーミング・アーツの方面の人で、コリオグラファーで、音楽家でもあるという事がわかって、少し天才的なところがある人だという事がわかった。
 BAM/Brooklyn Academy of Musicとかで上演していて、その頃、モンクはユダヤ人だけど、黒人の女の人がしている様な、少し長めのドレッド・ヘヤーをしていた。

 ブルックリンでは、黒人が多く住んでいるコミュニティーと、ユダヤ人のコミュニティーは隣接しているので、モンクがそうしたファッションをしたりするのは、単なるファッション以上のものがあると思う。
 僕のいた大学の周辺が、ちょうど黒人が多く住んでいる付近で、車で十五分くらい走ると、本当に映画のシーンがかわるように、ジューイッシュ・タウンになる。
 ニューヨークでは、ユダヤ人の事を、ユダヤ人とは言わない。Jewish、ジューイッシュと普通みんな呼んでいる。
 それで、ジューイッシュ・タウンでは、みんな黒い帽子と、黒い服を着ている。女の人は黒をベースにした服に、少しカラフルな格好をしている人もいるけど、そこに行くと、みんなが映画のコスチュームを着ているみたいな感じがする。

 それで、コミュニティーが隣接していたり、色々な人種や宗教の人が住んでいると、スパイク・リー監督の『Do The Right Thing』に出てくる様に、小競り合いみたいなのが起こったりする。
 例えば、黒人の青年が一人で、ユダヤ人のコミュニティーに行ったりすると、強盗に会う事もあるらしく、警察にその事を届けにいって、犯人はどういう人相だったかを聞かれたので、黒い帽子と、黒い服を着て、髭をはやしていたと答えたら、警察の人に、そんなの、ジューイッシュはみんなそうじゃないか、と言われてしまった話とかを、実際に、僕は友達から聞いたりしていたけど、もちろん、その逆や、人種間での摩擦は、ブルックリンでは、無数の組み合わせがある。

 それでも、全体としては、ニューヨークで多人種、多民族の人々が、共生しているのは事実で、9.11のテロは、そうした、共生のイメージを、ぶち壊してしまった感じもある。
 が、僕には、テロリストは、やはり、そうしたニューヨーク全体のコミュニティーとは、また全く次元の違う、異質な人々という感じがする。
 また、ワールド・トレードのあった、マンハッタンのビジネス街と、ブルックリンでは、同じニューヨーク市でも、少し世界が違う感じもある。
 ただ、テロのあと、罪のないイスラム教徒やアラブ系の人たちが、迫害を受けてしまったようで、それは、迷惑とかいう次元ではなく、とても深刻な問題だと思う。
 今年の九月十日に、NYのワシントン・スクウェアーで、反戦集会が行われていた写真を、ネットで見たけれど、イスラム系の平和運動家とかが、「NO EXIT FOR WAR」と、書かれたボードを持っていたりして、罪のない素朴な人々が、テロにより窮地に立たされているのは、本当に気の毒だと思う。
 あと、これは、僕の漠然とした印象だけど、9.11が起こる、数年前から、景気がよくなっていたぶん、ニューヨークが、ヤッピーみたいな、エリード・ビジネスマンだけが楽しめる街になってしまった感じがあった。
 また、日本にいて入ってくるニューヨークに関する情報も、マンハッタンのビジネス・シーンに関する情報が多く、僕には片寄っている印象があった。

 ロンドンでは、これまでで最大の反戦デモが、先々週末頃から起こっていて、やはりロンドンはずごい場所だと更めて思ったが、ニューヨークで、以前起こった、ベトナム反戦運動みたいなのが起きないのは、世代が代わってしまった事以外に、今回は、ニューヨークが、9.11で被害を受けた街だというのも大きいのではないか、と僕は思うのだけど、正直なところ、僕にはよくわからない。
 
 あと、ユダヤ人といえば、9.11以降、争点であるイスラエルの事を、昨今どうしても考えてしまうが、確かに、ワシントンの議員の中には、パレスチナの存在を、いっさい認めないような過激な人もいるみたいだし、ニューヨークにも、そうしたユダヤ人はいると思う。
 
 九十年代前半に、クリントン前大統領をはさんで、アラファト議長とラビン前首相が歴史的な調印をしていたが、それが嘘のような状況が続いているみたいだ。
 ラビンとアラファトは、国連の本部があるので、ニューヨークにも来ていたが、イスラエルに帰って間もなくして、ラビンは暗殺されてしまった。
 ラビンが暗殺された直後、ニューヨークのユダヤ人街の、ボロー・パークで、黒い服と黒い帽子を被った人たちが、騒然とした雰囲気になっている映像や、マンハッタンでもロウソクを灯して、追悼の集会が行われている様子をローカル・ニュースで見たが、イスラエルにいるユダヤ人と、ニューヨークにいるユダヤ人と、どの程度のつながりが現在あるのかは、僕にはわからない。

 僕の住んでいたアパートの、すぐ上の階に、よくヘブライ語の本をこわきに抱えて、ユダヤ人が被る、丸い帽子を被っている、二十才くらいの女の子が住んでいて、エレベーターや、地下にあるランドリーで会うと、少し世間話をしたりしていたのだけど、ラビンが暗殺された時、その事について聞こうと思ったら、「私はラビンと共に働いていた」と、少し引きつった表情で、その女の子は言っていたので、少し驚いたけど、ああなるほど、と思った事がある。
 それで、その後、何か思い悩むタイプなのか、地下のランドリーのところで、うずくまる様に、地面にすわっていたりしたのを見かけたけど、ある時、外から帰ってきたら、その子は、アパートの前で、迷彩服と、軍人の被るような帽子を被って、引っ越しをしていて、どこかに行ってしまったのだけど、今にして思えば、その頃の一連の出来事は、何かを象徴していた感じがする。
 そのヘブライ語の本と帽子を被った女の子とは、あまり立ち入った話をしなかったので、もしかしたら、アメリカ系ユダヤ人ではなく、イスラエルから来ていたのかもしれない。

 テルアビブから来た人が、以前、僕の住んでいたアパートの一階に新しくできた、ヘヤー・サロンにいて、僕は一年近く、その人がいなくなるまで、髪を切ってもらっていたので、色々な話をした。
 僕は髪の毛を切るときは、ほとんど、普通にのびたのを、短く切ってもらうだけなのだけど、最初、いろいろな店を渡り歩いていて、マンハッタンには、日本人も店を出しているけど、どこも、六十ドルとか高くて、そこは、新しくできたという事もあって、十五ドルくらいで、髪の毛を切ってもらえた。
 しかも、自然に短く切ってくれるし、ロシアや南米からきた人とかも、そこで働いていて、入りやすく、店の人はとても親切だった。
 その頃は、和平交渉もうまく進んでいて、テルアビブの治安状況を聞いても、紛争が時々起こっても、イスラエルの国の、ずっと離れたところでだから、あんまり関係のない感じだったし、湾岸戦争の時に、多国籍軍がイラクを攻撃した時に、イラクはイスラエルに報復のミサイルを発射したにも関わらず、その時のイスラエルのシャミル首相は、事態を混乱させないために、全く報復をしなかった事も、納得していた様子だった。
 そのテルアビブから来た人は、政治運動とかとは、全く関係はなく、本当に普通の市民という感じで、ニューヨークでアメリカ人と結婚して、子供もいたのだけど、テルアビブには両親がいるので、よくTWAで、イスラエルには帰っていたみたいで、マイリッジがたまったので、今度は無料で、ニューヨーク-イスラエルを往復できる事とか、テルアビブの事とかを聞いたりしていたので、僕もいつか、TWAで、イスラエルに行ってみようかなと、その頃は、思ったりしたものだった。
 
 それが、ラビンが暗殺されたあと、タカ派的な政権が選挙で勝利して、それまでの和平交渉が、だんだんなし崩しになっていって、9.11のテロで、さらに拍車がかかって、そこらじゅうで、自爆テロや、それに対する報復が起こったりして、長年続いている、イスラエルのパレスチナ問題も、この何十年かで、最悪の状況みたいになってしまった。
 それで、1948年や、それ以前のイスラエルや、パレスチナの歴史物語が、解説されたりするのだけど、そうした長大な物語の中で考えずに、ほんの数年前は、まだ和平は進んでいたので、少なくとも、そのレベルに戻れないものかと思ってしまうのだが、僕にとって、中東情勢はやはり遠すぎる問題だという感じがしてしまう。また、よくわからない、遠く離れたことを語るのは、気違いじみたことにもなりかねない。

 ニューヨークにいるユダヤ人でも、イスラエルと、直接つながりのある人や、常に関心の対象だという人も、限られているのではないだろうか。
 ユダヤ人でも、黒い服と帽子を被っているのは、宗教的に信仰があつい人々で、そうでないユダヤ人も、ニューヨークにはたくさんいる。
 たぶん、黒い服と帽子を被っているユダヤ人といっても、日本では、何の事だか、よく分からない人の方が多いと思うけれど、実際、ニューヨークに行くまで、「ユダヤ人とは?」なんて、あまり考える機会はなかったのだが、ニューヨークに住んでいると、どうしても少し考えてしまう。
 合衆国では、ユダヤ人は一応、マイノリティなのかもしれないけど、ニューヨークにはユダヤ人はたくさんいるのだ。
 あと、ユダヤ人というのが、宗教的な定義なのか、人種による定義なのか、曖昧でよくわかりにくいというのもある。
 一応、ユダヤ人というのは、ユダヤ教徒の事だけれど、日本で、両親が仏教だから、一応、自分も仏教だけれど、普段はそれほど、宗教とは関係のない生活を送っている人がいる感じで、ファッションも、普通の格好をしているユダヤ人の方が多い感じがする。
 あと、白人でも、アングロサクソンや、イタリア系とかある様に、人種的にも、ユダヤ系の人というのはあるのだけれど、そうでない人でも、もし、ユダヤ教徒であれば、ユダヤ人という事にもなる。 
 ニューヨークには、ハーフやクウォーターも多いし、僕はイタリア系の白人とか、正確に見分けられないのだけど、ユダヤ人の人は、たまに、「私はジューイッシュだよ」と、自分からいう人もいるので、そうなのか、と思い、「ユダヤ人とは?」と、少し考えてしまったりする。
 とにかく、僕のいた大学にも、学生や教授にも、ユダヤ人はいたし、ニューヨークでユダヤ人は、どこにでもいる。
 『ソフィーの選択』という映画で、メリル・ストリープが第二次大戦後、ブルックリンに移民してきたユダヤ人女性の役を演じていたが、ホロコーストのために、移民してきたユダヤ人も、ニューヨークには多く住んでいる。

 あと、ドイツに、バウハウスという総合美術大学があったのだけれど、ナチスによって、閉鎖させられてしまったので、そこの教授が何人か、僕の通っていたブルックリンの大学で教えていたことある。
 僕は、ユダヤ人の教授とかから、その話を聞いたのだけれど、だから、僕の大学の美術教育には、バウハウスの美術教育の流れが、少し継承されている部分があるのだ。
 ナチスは、一部の芸術家、例えば、カンデンスキーやポール・クレーなどを、退廃芸術として迫害したけれど、ポール・クレーはバウハウスで教鞭をとっていたこともある。
 
 第二次世界大戦の前後、ニューヨークは、ナチスによって、迫害された芸術家や、ユダヤ人が、逃れてくることができる、数少ない場所の一つでもあったのだ。
 9.11のテロを見て、ホロコーストの事を思った人は、少なくないと思うが、第二次世界大戦から、半世紀以上過ぎた、ニューヨークで起こった出来事は、何とも説明ができない、まったく新たな出来事だという感じがしてしまう。
 また、9.11以降の報復攻撃で、民間人の犠牲者が出て、合衆国は反テロ、軍縮の為に、新たに、イラクへの攻撃を行おうとしているが、先ごろ、イラクの民間人、普通のおばさんみたいな人々が、差し迫る合衆国からの攻撃の緊張とともに、露天のマーケットで、野菜とかの買い物をしている様子が写った、写真を見たけれど、みんな、頭から、黒い服を着ていて、ユダヤ人によく似ているように、僕には思えてしまった。

 結局のところ、「ユダヤ人とは?」といっても、「アメリカ人とは?」、「日本人とは?」というのと同じで、多少傾向はあるのかもしれないけれど、日本人で色々な人がいる感じで、ニューヨークには、たくさんのユダヤ人がいるので、僕の経験からでも、いろいろなタイプの人がいるとしか感じられない。
 また、実際に出会うことをせずに、完全に知識としてだけ、そうした事を知って、先入観をもって、ひとり、ひとりの人間として考えないのは、間違っているともいえる。
 イスラエルのパレスティナ問題が、いつまでたっても終らない原因の一つは、子供の頃から、お互い敵だという教育を受けている人が、あまりにも多くいて、具体的な個人というよりも、パレスチナ人、イスラエル人というだけで、テロリストや、敵だという先入観を持ってしまっている人が多くいて、戦争が継承されてしまっているところにある。
 もちろん、テルアビブでも、数万人規模の反戦集会が行われたり、少数の知識人のグループが、平和的な解決への努力を、今も続けてはいるのだが。

 ゴダールの『JLG/JLG』でも、ダビデの星のステレオ伝説のことが語られていた。
「だが歴史には、歴史の歴史には、ドイツがいて、イスラエルに投射した。イスラエルはそれに対して反射して、自分たちの印を見つけた。ステレオの掟は続き、イスラエルはパレスチナに投射し、パレスチナも投射を返し、苦難を背負う。これが真のステレオ伝説だ。」

 実際、こうして書いていても、切りがなくなるが、そんな事や、ブルックリンでの、ローカルな状況もあって、メレディス・モンクとかが、ドレッド・ヘヤーをしていたりすると、とてもそれが、ファッショナブルに思えてしまったりする。
 あと、ただ単に、そういう髪形がよく似合っていたという事もあるのだけれど、実は、僕は学校にいる間は、いろいろと忙しくて、結局、彼女の公演には行きそびれてしまった。
 それで、CDを何枚か買って、聴いていたのだけど、彼女の音楽は、メロディーの美しい曲もあるけど、すごく感覚的で、前衛的な部分もあって、特に、彼女のやっている、ヴォイス・パフォーマンスというのは、他に類を見ない、新しい音楽という感じがする。
 歌うというのとも違うし、ハミングみたいなものとも少し違って、とにかく、もっぱら声だけで、パフォーマンスしたりするのだ。

 ゴダールの『ヌーベルバーグ』で、「物であり、言葉ではない」という文字が出てくるあたりで、静かなピアノの音とともに、まるで、鳥の鳴き声のような、女の人の声が聞こえてきて、その直後に、少しつぶれた感じの本物の鳥の鳴き声が入るところがあって、僕は、メレディス・モンクみたいだと思っていたのだけれど、CDのクレジットを見たら、メレディス・モンクの名前が入っていたので、鳥の鳴き声のヴォイス・パフォーマンスは、おそらくモンクによるものだと思う。

 鳥の鳴き声というのは、ゴダールが、しばしば使うモチーフの一つだけれど、アンヌ=マリー・ミエヴィルの『そして愛に至る』のなかでは、バレエのダンスによる、鳥のダンス・パフォーマンスがでてくるシーンがある。
 ゴダール扮するロベールが、新聞を読んでいる横で、カトスという女性が、それとは対称的な感じで、鳥をモチーフにしたバレエダンスをしていて、床に伏せて足を斜めに上げて、ポーズをとって静止するシーンは、チラシにも使われていて、それ自体、とてもかっこいいのだけれど、映画の中では、とても、おもしろいシーンの一つだった。(つづく)10/12
 

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