『そして愛に至る』をめぐって 3



 カトスが鳥をモチーフのダンスをして、床に伏せるあたりで、
 ロベール「男はみんな罪人だ。心に黒い多きな穴がある。空白があるんだ。」
 カトス「でも、男って、かわいいものよ。」
 カトス「私を見て。」
 ロベール「美とは全体的なものだ。部分ではない。」
 ロベール「鳥ならば、その行為はオスの役目だ。美しい羽でメスをくどく。」
 カトス「あなたに度胸がないから、私が代わりに。」
 という会話が交される。
 「男性/女性」というテーマで考えると、おもしろいやりとりだと思うのだが、どうだろうか。もちろん、映画ではこれに、アクションが加わる。

 『そして愛に至る』は、印象的なシーンも多くあったが、全体的に室内のシーンが多く、メロドラマ仕立てに、わざとしている様なところもある。
 でも、普通のメロドラマと比べると、やはり台詞がよく練られている感じがする。
 よく練られているというか、ミエヴィル自身が述べていた様に、普通の日常会話では、あまり交すことのない、演劇的な台詞だ。
 
 あと、ミエヴィルは、前作の『わたしたちは皆、まだここにいる』では、ソクラテスが登場する様な哲学コメディをつくっていたということだが、少し哲学的な部分も感じられた。
 僕は大学の授業で、哲学のクラスも一学期だけ取っていたことがあって、二、三冊あるテキストの中には、ソクラテスが含まれていたので、少し読んだことがある。
 ニューヨークに行って、一年半くらいの時だったので、そのクラスは、なんとかパスした感じで、やや消化不良気味だったが、僕の読んだソクラテスのテキストは対話形式で書かれていた。
 弁証法的な思考というのは、ヘーゲルよりずっと以前の、古代ギリシャからあって、普遍的なものだと思うのだけど、そうした思考を記述するのに、対話形式というのは適していたのだろう。
 映画や演劇の台詞を、単に現実の模倣としてではなく、そうした観点から考えるのも、おもしろいと思うのだけど、映画の台詞というのも、色々あって、謎が多いように思う。
 『そして愛に至る』でも、対立する意見のやりとりや、口喧嘩のシーンが多くあったけど、僕は映画を観ている間、その映画に関係する事とかを、途中から色々考えながら見てしまって、映画全体を通して、台詞の細かいところまで、完全に理解していたわけではないので、あまり評論めいた事を、ここで書くのは避けたいと思う。
 これは、評論ではなく、映画をめぐって、色々な事を書いてゆくエッセイなのだ。
 ゴダールは今回、役者として出演していたけど、演技が上手なのか、下手なのかも、フランス語が完全に聞き取れるわけではないので、よくわからない。
 日常の簡単な台詞なら、僕は一年ほど前に、アテネフランセで、初級のフランス語だけの授業を、半年くらい受講していたので、耳に入ってくる様にはなったけど、試験をパスしたあと中断しているので、まだほとんど字幕に頼ってしまう。
 ゴダールの映画もそうだが、ミエヴィルの映画も、もともとフランス語で見るために作られているので、字幕を読みながらだと、少し時間が足りない感じがしてしまう。
 やはり、二回くらい見ないと、きちんと理解できない感じがするのだが、本でも二、三回読むと、いろいろな発見がある本と、そうでない本があるが、ゴダール関係の映画、特に『映画史』とかは、何度みてもいい様な感じがする。

 映画を見終ったあと、階段を上って、受け付けのあたりに来てみると、女性映画作家の三浦淳子さんが、偶然見に来ていたので、少し、見た映画について話をすることになった。
 三浦さんの映画は、シネマテークや、イメージフォーラムの映画祭で、何回か上映されているだけなので、世間的にはほとんど知られていないと思うけれど、九十年代の終り頃に、パリにある国立芸術センター、ポンピドーセンターで、「現代日本の映画作家展」みたいなプログラムの中で上映されたことがある。
 いっしょに上映されたのは、『ゆきゆきて神軍』の原一男監督の作品、小川プロの作品という事なので、ドキュメンタリー系の作品が、その時、主に上映されたようだ。
 
 小川プロというのは、ドキュメンタリー映画の世界では、かなり有名な存在みたいで、ドキュメンタリーといえば、日本では『 NHK特集』とかが、充実した内容の番組をつくっていると思うけれど、ドキュメンタリー映画というのも、また一味違うよさがあると僕は思う。
 ミエヴィルも、七十年代には、パレスティナ解放運動を通じて、ゴダールの『勝利まで』の制作に参加していたので、ドキュメンタリーを何本か制作していると思う。
 小川プロの作品は、昨年は、アテネフランセ文化センターや、山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映されていて、共同生活をしながら映画を制作するという、世界でも類を見ない制作スタイルなどが、再び注目を集めているとのことだが、小川プロの小川紳介監督自身は、もう十年ほど前に亡くなったようだ。
 その事は全然知らなかったのだけど、僕は八十年代の終り頃、映像研究所で、小川監督が特別講師で来ていたので、小川監督の話を直接聞いた事がある。
 その時、『千年刻みの日時計』と、『ハレトケ』という映画も上映されて、『千年刻みの日時計』は、共同で劇場かなにかを制作する、正確には、よく覚えていないが、とにかく男女を含む、何人かの若者が集まって、共同生活しながら、作業を行うことのドキュメンタリーだったと思う。
 その中には、社会的にドロップアウトしてしまった青年とかも含まれていて、その事を通じて再生を行っているという様な内容だったと思う。
 『ハレトケ』は、農民に関するドキュメンタリーで、小川監督は成田空港建設の際の、三里塚の政治闘争のドキュメンタリーを撮影していたのだが、『ハレトケ』の頃は、すでに成田は完全に開港していて、バブルということもあって、海外に出かける日本人で、成田はフル稼働していた。
 三里塚の政治闘争も、完全に過去の出来事という感じだったのだけど、その頃は、小川監督も、いくぶんリラックスした感じで、成田の三里塚の土地をめぐって、政治闘争する農民よりも、農業や、農民そのものとは、どういうものか、という様な映画を撮っていた。
 それは、例えば、農民を主題に描いた絵が、そのどれもが、ゴッホやミレーの描いた『種をまく人』みたいになるわけではない様に、『ハレトケ』は、とてもよく撮れた、ドキュメンタリー映画という感じがした。
 僕なんかも、三里塚の政治闘争は、すでにテレビなどのメディアを通しても、リアルタイムでは知らないし、農民も、田植えや、トラクターに乗っている姿を目にしたことはあっても、じっくりと話を聞くような機会はなかったのだが、『ハレトケ』では、何人かの農民がインタビューに答えていて、慣れている感じではなかったけど、小川監督の人望からか、リラックスした感じで、農業というものについて語っていた。 
 そして、その言葉には説得力があって、その様子は、何か心にしみるようなものがあり、農民にとって、土地がいかに大切かという事もわかり、闘争が長引いた理由も、少し納得できるものがあった。
 いくら、政府から、空港をつくるのに、土地を明け渡すようにいわれても、簡単に引っ越すわけにはいかないということが。
 実際、薬害エイズにしても、政府に責任が本当になかったのか分からないし、国家権力が行使される時には、とても、高圧的な振る舞いをしている様に感じられる時もある。
 アフガニスタンなんかでも、誤爆で被害を受けた人々は、農業とか、第一次産業を行っている人達がほとんどだと思うけど、彼等自身の意見というのは、あまり伝わってこない。
 そして、何事もなかったように、次はイラクへ争点が移っている感じだが、強大な軍事力を持つ経済大国が、アフガニスタンであれ、どこであれ、土地どころか、命を奪うことを、まともに正当化できる理由があるとは思えない。
 何か、アフガニスタンにいる様な人々を、馬鹿にしている感じもするのだが、日本の政府も先頃、米国への後方支援の延長を何気なく発表したが、イラクの問題にしても、ドイツやフランスと比べれば、歯切れが悪い感じがする。
 とにかく、大切なのは、アフガニスタンを教訓にして、民間人へ被害が及ぶことだけは、避けなければいけないと僕は思う。

 小川プロの作品は、三里塚の政治闘争以外にも、より広い意味で、近現代の日本の記録として一見に値すると思うし、後継者がいて、活動を続けているということだが、それといっしょに、パリで上映された、三浦淳子さんの作品は、規模からいくと、とても小規模で、個人的な作品だ。
 家族映画というか、私小説的な映画だ。
 僕が見たのは、二本ほどだけれど、横浜の工場跡を撮影した作品があって、それは、お父さんか、おじいさんが働いていた工場だという事で、撮影する動機という事に関しては、ルノーの工場跡を撮影したゴダールよりも、必然性があるかもしれない。
 その横浜の工場はレンガ造りで、なかなか趣もあるのだが、三浦さんの作品は、それほど遠くない現代日本の、普遍的とか、一般的ではないかもしれなけれど、直接的で、具体的なある場所や、人物を記録していて、僕はなぜ三浦さんの作品がポンビドーに招待されたのか分からなかったけれど、パリの人が日本を知るのには、少しは役に立つだろうし、ポンピドーも芸術センターだけあって、それほどでたらめに作品を選んで、上映していない感じがした。
  
 イメージフォーラムの映画祭では、以前は、あまり規模の大きくない、プライベートフィルムみたいな作品も、多く上映されていて、やや地味で、派手なエンターテイメント性には欠けるかもしれないけれど、じっくりと、なぜその作者が、その対象を撮影しているのか、考えながら見たりすると、おもしろかったりする。
 そうした作品ばかり見ていると、また、『007』みたいな映画を見たくなったり、あるいは、タルコフスキーの様な大作を見たくなったりするのだけれど、そうした映画を鑑賞するのには、見る側にも、少し能動性というか、作家的な資質が要求されるのかもしれない。

 あと、僕は何人か、映画祭で上映される映画作家を直接知っていて、映画祭の会場や、そのあと飲みにいったりして、作者から話を聞いたり、他の映画について話をしたりしていた。
 一人で、映画を見に行って、見た映画の余韻を残して、そのまま、また一人で帰ってくるのもいいけれど、映画のあと、誰かと見た映画について話をするのも、映画の楽しみ方の一つだと思う。

 それで、ミエヴィルの映画では、三浦さんが来ていたので、とりあえず、少し見た映画について話をすることになり、イメージフォーラムから、渋谷駅に向かう、宮益坂ではなく、その一本右手の通りにある、フランス語で、20という意味の、Vingtに二乗を示す2が書かれてある、バーみたいな、居酒屋みたいな店があったので、そこに入ることになった。
 店の名前を書こうとして、二乗を示すフォントがないので書けないのだけど、さすがに、渋谷の青山通り沿いだけあって、少し探しただけで、気楽に入れるけど、和食も食べれて、ワインもビールも飲めるいい店が、すぐ近くにある。
 それで、九十年代の終り頃、ポンピドーセンターで、三浦さんの映画が上映される前に会った時には、三浦さんは、仕事があるので、自分の作品だけが、パリで上映されるような事を言っていたけど、結局、ポンピドーセンターの方から、なんと、エアー・フランスと、ホテルなどの宿泊施設のチケットも送られてきたので、パリに行ってきたことなどを、聞かせてもらったりした。
 そして、三浦さんは、ゴダールが泣き出すところとかが、かわいかった、とか言っていて、僕よりもミエヴィルの映画を気に入っていた様子だった。

 ウッディ・アレンは、人が映画を見る時には、登場人物に自分自身を見い出すからだ、そうでなければ、人は映画なんか見ない、という様な事を以前語っていたが、『そして愛に至る』は、男女四人が出てくる映画で、ゴダールが出演しているくらいなので、かなり年配の、エスタブリッシュされた大人のカップルの話だ。
 しかも、登場人物も、背景も、ヨーロッパで、ヨーロッパ的な教養を下地にした会話が多く出てくる。
 三浦さんとか、どのようなところが、おもしろいと感じていたのか、僕にはわからないけど、僕は、どのようなところに、映画を見に来た人が共感して、おもしろいと感じているのかと、時々、思ってしまう。
 ゴダールの映画なんか、ずいぶんと人によって、違う見方をしていると感じることがあるのだけど、東京には、ゴダールのファンの人が、すごく沢山いるので、『そして愛に至る』のなかで、ローベールとミエヴィルが乗った車に、ローラスケートをはいた青年が、車のボディーの後輪の縁につかまって、車についてきて、
「何をしているんだ?」
「いっしょに走っているのよ。」
 と、答えるシーンがあったけれど、ローラースケートをはいた青年に、自分自身を見い出してしまった人もいるかもしれない。
 ただ、ローラースケートをはいた青年を、少し振り返って、正面を見つめるゴダールの演技は、何かわざとらしいものがあったのだが。

 映画を見る時に、僕は、自分自身を見い出す時もあるけれど、他者を見ている時も両方あって、ヨーロッパの映画とかは、映画を見ている間だけ、少し旅に出ているような気分になったり、何故、人が映画を見るのかも謎が多く、一つひとつの映画によっても違うような気がする。

 あと、『そして愛に至る』は、中高年のカップルの都市映画という点や、規模的にも、全体的なたたずまいが、ウッディ・アレンの一連の映画に似ているように、僕には感じられた。
 映画の終りの方で、登場人物の四人が口喧嘩をしたりして、何か関係がグシャ、グシャになったあと、暗闇の中に、横一列にならんで、登場人物の顔をアップで写ながら、「そして、みじめに生きてゆく…」というナレーションが入るところがある。
 ウッディ・アレンの『アニー・ホール』の中にも、「人生には、悲惨な人生と、みじめな人生があって、みじめな人生を選べた人は感謝しなければならない」というような内容の会話があって、ある一定の年齢を過ぎた大人が感じることなのか、作品のテーマの中にも、共通するものを感じた。

 ゴダールとアレンは、年代的にも同じで、『Meeting Woody Allen』という、ゴダールが、アレンの会見を撮った作品もあるようなので、何か共通する部分があっても、おかしくないと思う。
 六十年代の終り頃から、ゴダールとミエヴィルはパートナーを組んで、映画制作を行っているという事だが、ゴダールに出会った頃に、ミエヴィルはパレスティナ問題専門の書店を経営していたというのだから、欧米人でも、かなり変わった人というか、生真面目な人なのだろうと思う。もちろん、実際に、会ったこともないので、よく分からないが。
 『そして愛に至る』以前にも、何本か映画を制作しているので、それらも、日本で公開されるといいと思う。
 パートナーを組んで制作を行っているというところや、やはり、ゴダールなどと同時期から活躍していて、フランスから、イタリアに移り住んで、今でも現役で活躍していて、二年ほど前のスイスのロカルノ映画祭で特集が組まれていた、ストロープ=ユレイ、ジャン=マリ・ストロープとダニエル・ユレイの軌跡が、先週まで、アテネ・フランセで上映されていて、第二部が、十二月のなかばくらいから、また始まるようだし、タルコフスキーの映画祭も先週まで行われていて、来春、『ノスタルジア』は、イメージフォーラムで、再び上映されるみたいだし、東京は、ここのところ、世界で最も質の高い映画が見られる都市かもしれない。
 僕は、タルコフスキーは、隠れた巨匠だと思っていたけど、生涯制作した八本の長編のうち、全ロシア国立映画大学の卒業制作が、ニューヨーク学生映画祭で第一位、カンヌ映画祭で創造大賞、批評家賞などの賞を四回も受賞していて、それ以外の作品もヴェネティア、サンフランシスコ国際映画祭などで、ほとんどの作品が大きな賞を受賞していた。
 ゴダールの映画は、今、シネセゾン渋谷で、『恋人のいる時間』がレイトショーで上映されていて、また、リバイバルで他の作品も上映されるだろうし、十月に、世界文化賞の受賞式にゴダール自身が来日していた時、新作の話をしていて、最新作を今でも見ることができるのは、それだけでも驚きだし、本当に楽しみに待ちたいと思う。

 ただ、ゴダールの映画に関しては、『勝手にしやがれ』や、『気狂いピエロ』などは、東京では、ほぼ定期的にリバイバル上映されているし、ビデオやDVDなどで、多くの作品をいつでも見ることが可能だけれど、ミエヴィルとともに活動し始めた、六十年代後半から、八十年に『パッション』を撮るくらいまでの間、ゴダールは「ジガ・ベルトフ集団」を結成して、アジビラ映画を制作していたということだが、その期間の映画は、ビデオも出ていないし、リバイバルもあまりされないので見る機会がない。
 僕は、政治的にどの様な内容のものでも、特にドキュメンタリーは、上映される機会があるべきだと思うし、今再び、激動の時代に活動をしていたゴダールの作品から、何か学ぶべきものがあるのではないだろうか。
 そして、新たな闘争を開始する、というよりは、和解を示してゆくことだと思う。
 『そして愛に至る』のフランス語の原題は、『Apr'es la r'econciliation』で、直訳すると「和解のあとで」という意味だが、ミエヴィルは、二人が納得すれば、明日ではなく、今日にでも和解はできることを示唆している、というようなことを述べていた。
 世界で起こっている問題も、「反戦」を示すことなどもそうだし、少なくとも、われわれはそれを望んでいない、和解は可能だということを示すことは、必要ではないだろうか。(12/3)

  

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