『そして愛に至る』をめぐって 1

 夕方六時半頃、井の頭線の終着駅、渋谷駅で降りて改札を抜けると、左側の窓際に人が何人も立って、窓の外を見ている。
 窓からは、渋谷のハチ公前、道玄坂、公園通り方面が、大きなガラスごしに見えるのだが、普段は駅で降りた人や、これから電車に乗るは、人ごみの中をそれぞれの目的に向かって、少し足早に歩いて通過してゆく場所なので、これは事故か、もしかすると、テロのような事が近くで起きたのかもしれない、と思い、僕も窓の近くまで歩いていった。
 実際、今の時代、いつどこで、何が起こるかわからない。
 すると、そこからは、下の方の地上に見える、ハチ公前交差点の広場に、ブルーの服を着た人たちの群れが見えてきて、それがうねるように、動いているのが見えた。それと同時に、大勢の人々がワーと叫んでいる声も聞こえてきて、「ニッポン、パ、パ、パ。ニッポン、パ、パ、パ。ワー」という声援が聞こえてきた。よく見ると、大きなスクランブル交差点を渡った、向こう側の通りにも、ブルーの服を着た群衆が、ゆっくりと動いている。
 
 それで、これは事故ではなく、サッカーだとわかり、その盛り上がり方から、おそらく日本代表が勝利したのだろう、ということが予測できた。
 たぶん、そこにいた人達は、スクランブルを渡った正面のQFRONTのビルにある、大きなスクリーンで試合を観戦していたのだろう。
 日本代表が勝てたのはよかったが、フーリガンが少し心配になり、いずれにせよ、宮益坂の方面に用事があったので、すぐ地上に降りないで、別の出口を探して歩き始めた。

 六月十四日。ワールドカップの日本代表が対チュニジア戦に勝利した日に、僕はアンヌ=マリー・ミエヴィルの『そして愛に至る』の最終日に、ゴダールが出演していることもあって、とりあえず見ておこうと思い、二年前に新しく、四ツ谷三丁目から渋谷の宮益坂の方に移転した、イメージフォーラムに向う途中だったのだが、最近、渋谷駅ではよく出口を間違えて出てしまう。

 宮益坂は、以前、よくオートバイで通っていたが、明治通りからとは違い、駅からだとかってが違うし、京王線の駅が新しくなってからは、そう何度も訪れていないので、よくわからない。
 それで、つい適当に出口を出てしまって、大きな駅の周りをうろうろしてしまったりする。ハチ口前は避けたものの、別の出口に出てみたら、そこにも、サッカーファンがいて声援を送っていた。といっても、試合はすでに終っていたのだが。警官が数名出ていて、もう少しエスカレートすれば、注意しなければならない様子だが、どっちつかずの感じで、その様子を眺めていた。
 
 ロシアの映画監督、エイゼンシュテインは、歌舞伎と比較して、サッカーについても書いている。
「歌舞伎は、一元的アンサンブルで、音と-動きと-空間と-声とは、相互に付随するのではなく、それぞれ平等の重要さをもつ要素として作用する。
 それに比べて、サッカーは、スポーツの中では、最も集団的なものであり、最も全体的効果をねらうものである。声、拍子木、身震い動作、謡い手の張り上げる大声、折りたたみのきく幕ーこういったものはすべて、それぞれ、バック、ハーフ・バック、ゴール・キーパー、フォアワードであり、劇というボールを相互にパスし、観衆というゴールを目ざしてドライヴし、観衆を茫然とさせるのである。」
 歌舞伎の細かいところまで、よくわからないが、渋谷の観衆を見ている限り、サッカーについては、エイゼンシュテインの書いているとおりかもしれない。

 ワールドカップの声援では、日頃、Jリーグと呼ばれ、自らからも、そう称するカタルシスからか、ことさら日本を強調していた感じがしないでもないが、JリーグのJは、Japaneseだろうか、それともJaponaisなのだろうか。たぶん、スペイン語のJaponesesや、ドイツ語のJapanishesを含んでJなのだろう。イタリア語だと、GiapponeseだからGだ。
 僕はそれより、今回「ニッポン」をやたら繰り返す掛け声に、最初、少し違和感を感じてしまったが、それも慣れてしまうと、そういう掛け声だという事で、どうということもなくなってくる。

 流行は、常にあなどれないものがあるが、スポーツでそうやって盛り上がるのは問題ないだろう。サッカーに限らず、基本的に、僕はスポーツを見るのは嫌いじゃない。
 また、チュニジア戦のあと、惜しくも敗退してしまったとはいえ、日本代表選手は、予想以上に健闘した方ではないだろうか。
 某広告会社の人たちは、チュニジア戦をみんなが会社で見ていて、仕事にならなかったという。
 その後、韓国がベスト4に進んだ時も、日本のファンが応援したのもよかったと思う。今回で終らず、サッカーといえば、日韓友好の機会になっていけばいいと思う。
 僕は、体育館に置いてあるテレビとかで、ダイジェスト版を、途切れとぎれに見ていって、きちんと見れたのは、最終戦の「ドイツ-ブラジル」戦だけだったが、キーパーに注目しながらサッカーを見たというのは初めてだった。
 MVPをとった、ドイツのキャプテンのカーンは、優れたキーパーであると同時に、金融マンの顔も持ち、ほぼ毎日、新聞の金融欄に目を通す、二足のわらじの持ち主だ。
 それに、対するのは、子供の頃からサッカーしかやってきていない感じの、ブラジルのフォアードの三人組みで、頭の中に、ヨーロッパ、第一世界VS第三世界という図式も容易にできてしまい、とても興味深い試合になってしまった。

 しかし、ブラジルには、サッカーの精霊みたいなものがついているとしか思えない。
 今回のワールドカップでは、決して、優勝候補ではなかったのに、最終的に、ワールドカップを手にしているところが凄いと思う。
 ドイツのサッカーは、ディフェンスを中心とした、組織されたサッカーで、それもおもしろかったけど、サッカーらしい、ドライブ感があったのは、やはりブラジルの方だった。
 それまで、固くゴールを守り抜いてきたカーンが、ブラジル戦では、キーパーミスで、まず一点を失ってからの、横浜の競技場に響くサンバと太鼓の音は、『黒いオルフェ』というブラジル映画で、死神を呼び寄せるシーンを思い起こすものがあり、カーンは死神に取り巻かれてしまったかのように見えたのは、僕だけだろうか。
 ただ、サッカーをそうした文化的な見方で見ることもできるが、やはり、サッカーといえば、むかしジーコがやったような、振り向きざまの、センターラインからの、超ロングシュートとかがよくて、そうした事には、勝敗も、国籍も関係なく、いつまでも印象に残るものがある。

 渋谷駅の近くにいた、サッカーファンの中には、日本人だけではなく、どこの国から来た人かはわからないけど、欧米人もブルーのユニフォームを着て、勝利を喜んでいた様子で、映画まで少し時間があったので、しばらく、僕もそこにいて、勝利の気分を味わっていたけど、応援だけだとすぐに飽きるので、やはり映画に行くことにした。
 その日は、なんと、映画が終って、夜遅くまで、例の「ニッポン、パ、パ、パ…」という声援をやっている人もいて、そこまで行くと、むかし、大学生がよくやっていた、イッキ飲みと、変わらない感じがしてきてしまう。

 渋谷の宮益坂を登りきって、イメージフォーラムの、ミエヴィルの『そして愛に至る』の最終回の上映が行われる、地下二階の映画館にゆく。
 地下二階の映画館のキャパシティーは、百席ちょっとで、最終回に来ていた観客は、その三分の一程度の、三十人から四十人くらいだった。
 僕はやはり、映画館はある程度空いている時の方がいいと思う。隣の席に人がいなくて、荷物をおけて、足を組んだりしても、横の人に当たったりしない時の方がいい。
 『JFK』の監督を行った、オリバー・ストーンは映画館の観客数について、以前、興味深い事を述べていた。
 自分は、スピルバーグみたいに、すごく観客が入る映画ではなく、かといって、映画館に三、四人しか人がいない映画でもない、映画をつくるんだと。
 あと、911の時も、ハリウッド映画が、テロリストに影響を与えたことをいう人はいたけど、統計的には、米国では、映画館の観客の数が、減れば、減るほど、青少年の犯罪は、それに反比例して、増えていったという。
 ゴダールも、映画館の観客の数について述べていた。たしか、シネマテークに、九人から十二人くらいしか、客がこない時の方が好きだったと。
 なぜなら、その時の方が、どういう成り行きで、この映画を見に来たのか、話しかけたくなるからだ、というような事を、語っていた。(つづく)9/18
 

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