『愛の世紀/Eloge de l'amore』をめぐって 1

 コンピューターというのは、うまくいっている時はいいのだが、何かトラブルが起こったり、機能をよく把握していなくて、試行錯誤をしていると、どんどん時間が過ぎていってしまう。でも、それがコンピューターというものの特性だと思う。
 この前も、みずほ銀行のATMが故障を起こしていたが、それが無かった時代に比べると、信じられないくらい効率的に業務は進んでいるはずだが、一度トラブルが起こるとすごいロスになってしまって、どちらが効率的なのかを考えてしまったりする。限られた同じ機能しか使わないのならともかく、仕事でPCをよく使っている人ほど、PCというものは、定期的に何か不都合が起こる事をよく知っていると思う。でも、あのトラブルは、エンジニアにしてみれば、あせっていたとかいう次元ではないだろう。
 僕もたいしてハイテクではないけれど、PCを使った画像の処理をする事があって、その日も、PCの画面に向かって画像処理をしていて、さっさと終らせる予定が、どんどん時間が過ぎていって、時計を見ると、もう出なければいけないので、出かけることにした。

 5月2日のちょうど、今年のゴールデンウイークの中頃。映画の配給とかの情報にそれほど詳しくないので、一ヵ月前に知ったのだが、ゴダールの最新作が封切られると知って、何か不思議な感じがした。
 『映画史』のあと、『二十一世紀の起点』という短編を撮って、それがカンヌのオープニングで上映されたのは知っていたが、それではなく『愛の世紀』という98分の長さの映画。そういえば、カンヌの映画のコンペに出品した事を何かで読んだが、その映画だろうか。
 地下鉄に乗っている間、これからゴダールの映画を見るというのに、目が少し疲れていたので、回復するのを少し祈りながら、以前、黒澤明やフェデリコ・フェリーニの最新作を、まだ新作が見られると思いながら見に行った事とかを思い出して、それにしても、自分にとっては、ずいぶんと以前の事だと思った。とにかく、不思議な感じだ。少し、時間がずれている感じがしてしまう。

 丸ノ内線の銀座駅で降りて、夜が始まったばかりの銀座の街を歩いている頃には、目もとりあえず、回復してきて、ちょうどいい時間に日比谷シャンテに着いたのだが、予想したとおり少し列ができていた。
 七時の上映の前に、映画評論家の蓮實重彦が舞台挨拶を行う回なので無理もない。映画館の前には、大きな『愛の世紀/Eloge de l'amore』のポスターが貼ってある。
 以前は、どちらかといえば、混むのが分かっている舞台挨拶の時に、映画を観に行くというような、映画ファンみたいな事はあまりしない方だったが、今回は行く事にした。
 映画というのは、いつどこにいても、見る事ができるものだけれど、最近、いつどこで見たか、という様な事も少し意識する様になったのと、東京にいてこそできる事だと思ったからだ。
 少し待って、入場した時には、すでに一人でも座れる場所はなく、左側の通路見る事になってしまった。
 日比谷シャンテの地下の映画館は、それほど大きくないので、そこにいたのは二百人前後だったと思うが、横の通路だけではなく、後ろのドアの前にもいっぱい人が入っている。
 
 スクリーンと一番前の席の間のところに、どの映画館でもそうだが、少し間隔があって、そこに、プレスか劇場関係者が数名陣取っていて、その中の一人が、三脚を立てて、小さなデジカムの様なカメラを客席の方に向けて、ゆっくりとパーンしたりして撮影している。ゴダールの映画だけあって、映画づくりをその場で、もう開始している感じだ。それには、何か、ボーイスカウト的な生真面目さを感じるが、悪くない感じだ。
 とりあえず、全員の入場がいったん終了して、まもなくすると、劇場側から、
「本日はご来場いただきまして、まことにありがとうございます。ジャン=リック・ゴダール、『愛の世紀』の上映の前に、映画評論家で、前東京大学総長の、蓮實重彦氏による舞台挨拶がございます。みなさん、それでは、拍手をもって、お迎えしてください…」
 という感じで、正確には覚えていないが、アナウンスが入り、蓮實氏がスクリーンの前に姿をあらわし、会場からパチ、パチ、パチ、と拍手が起こった。
 ゴールデンウイークの中日で、まだ、これから休日が残っているのと、そこにいるのは、おそらくゴダールのファンで、これから映画が観られるということもあって、映画館は立ち見で人で一杯なのに、とても、なごやかなムードが漂っている。
「ゴダールでもないのに、私が舞台挨拶を行うのものもなんですが、ゴダールというのは、絶対時間どおりに来ない人で、私はそんな度胸はないので、少し早めに来て、皆さんが入場する様子とかを見ていたのですが、若い人が多くて、少し驚いたのですが、先日、私はパリに行ってきまして…」
 という感じで、話が始まった。
 大勢の人を前にして、話し始める時に、「先日、私はパリに行ってきまして…」という、どうしようもなく、もうフランスかぶれなのだが、それが、似合う人もあまりいないのではないだろうか。
 おそらく、蓮實重彦くらいで、また、そうした雰囲気というか、蓮實重彦みたいな人は、東京の様な都市にしか、いないのかもしれない。


  

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