シンポジウム 


 映画の方は、夏に話し合いを行なったあとは、きちんと集まって、主に週末に制作を行ったら、思ったより早いペースで進んでいた。
 主に知美が撮影を進めていったのだが、龍介や哲也君も、必要な時は出演や撮影の手伝いをした。撮影の時の人数は二、三人の時もあれば、十人以上になる時もあったが、とにかく、その時撮影に必要な、最低限数の人間だけで進めていく、とゆうことには変わりはなかった。
 また、毎週撮影を行ったわけではなく、撮影が終ったフィルムはすぐに現像に出して、再び全くうまくいかなかったり、思ったよりもうまく撮れていた映像などを見ながら、映画全体の構成を話し合いながら、少しづつ軌道修正をしながら、次の撮影の計画を立てていった。
 特に、ギャラの高い役者が出演しているわけではないし、期限も何も決まっていなかったので、映画の制作を急がなければいけない理由は全くなかった。
 
 福原龍介は、お茶の水の外堀が見えるベンチに腰掛けて、下の方の深い緑色をした川を眺めながら、煙草を吸っている。その向こう側の外堀通りを、自分が無数に通過した事があるとは信じられない。
 このあたりは都心だけど、電車で通り過ぎる時には視界が広がって、少し落ち着いた感じがする。どこか映画の撮影に使えないだろうか…。下の方が丸い形をした橋のあたりではどうだろうか。何年か前、その橋の上を偶然通り過ぎた時、誰かが八ミリカメラを回していたのを思い出した。ビデオではなく八ミリフィルムで、いっしょに歩いている友達が、八ミリだ、と言ったのを思い出した。
 その頃からすでに八ミリフィルムは、編集用のテープがなかなか手に入らなかったり、フジフィルムが生産を中止を決めたりして時代遅れなものになりつつあった。龍介達も自分達は、少し時代遅れな事をやっている、と感じる事が何度かあった。
 でも、十六ミリはフィルム代や現像料が高いので、気楽に撮影できて、練習にはいい八ミリを龍介はよく撮影していたのだ。
 何年か前にコダックも、夜間用のフィルムの販売を停止したし、昔は毎日現像を行っていた柴崎のフジカラーの現像所も、今は週一回しか現像をやっていない。
 
 今日は、夜七時から、近くの大学の講堂で、映画の上映とシンポジウムが行われることになっている。学生の非営利組織の主催だが、ゆり子のラジオ局も共催していて、ゆり子が司会を勤めることになっている。
 ゆり子のラジオ局は、中央線沿線の大学、主に音大、美大のサークルの人間が立ち上げたFM局で、予算はまだそれほどないのだが、大学のサークルとのネットワークがまだ沢山あって、月に数回、映画や音楽関係以外に、思想や哲学関係のシンポジウムを始めから終りまで収録したものを、そのまま放送している。
 また、日本以外に、ニューヨークの大学の放送学科の制作したラジオ番組や、ユーロ、アジア、南米などにもネットワークが増えてきて、外国の番組を夜の時間帯にあいた部分に、そのまま流している。だから深夜近くに放送を始めてキャッチした人には、全くわけのわからない、スペイン語やフランス語のDJが話している、少し怪しげなダイヤルにチューニングを合わせてしまったことになるはずなのだが、ラジオ局の方は番組枠を埋めるためもあって構わず流している。
 しかし、それが、海外の音楽に興味のある人や、日本に滞在している外国人、語学のリスニングの練習のために聞く人など、様々なニーズがあって、聞く人は少しづつだが、増えてきているみたいなのだ。
 また、外国の音楽だけではなく、日本の商業的に売れている、売れていないに関わらず、音楽的に意味がある活動をやっているグループの紹介や、立体音響を駆使したラジオドラマ、詩の朗読と音楽、討論会など、数週で終ってしまうものもあるが、色々な実験的な企画を行ってきている。

 龍介が大学の講堂に行った時には、まだ知美や哲也たちは、来ていなかった。入場する為に列が少しだけできつつあったが、龍介はチケットだけ買うと、ホールの入り口の前にある、ベンチと机がたくさん置いてある中二階のところに座ってしばらく待つことにした。
 音楽学部だろうか、数十人の学生がそれぞれ、バイオリン、チェロ、トロンボーンなどのクラシックの楽器を、音を出して練習している。クラシックのコンサートが始まる前に、それぞれ少しだけ音を出す時の様な音がずっとあたりに鳴り響いている。ばらばらだが、生の楽器の音はやはりいいと思う。
 龍介の前の席には、少し地味な感じの女の子が、バイオリンを楽譜を見ながら、同じパートを何度も練習している。それほどうまいとは思えない。ここは音大ではないのだから、特にプロになるつもりではないだろう。でも、学生時代に音楽を部活でする余裕のある学生が、まだいるとゆうことなのか。
 龍介の座っている、学食のような、ベンチがたくさん置いてあるところは、それほど奇麗とは言えなくて雑然とした感じだが、それがかえって、大学特有の解放的な雰囲気を作り出している。
 もう一度、知美たちが来ていないか、確認するために奥の方に行ってみるが、やはりまだ来ていない。列はさっきより、だいぶ伸びてきている。英語のカセットをかけて、何か練習問題を数人で解いている学生のグループがいる。龍介はしばらく、その近くでテープの英語の音を聴きながら、デザイン関係の本を読んでから、また、さっきの食堂の様なところで待つことにした。

 すでに入場が少しづつ始まって、龍介はぼーとして座っていると、ポンポンと龍介の肩を知美が叩いた。
「哲也君たち、あっちの方に来てるから。」

 哲也や、今回の撮影で知り合った友達、古くからの龍介の知り合いも列の途中にいて、その間にも人がいて、知美と龍介は一番最後の列に並んだ。席はすでに、ゆり子がいくつかは取ってある、とゆうことだが、全員で何人くらい、知り合いが来ているのかわからない。古くからの龍介の友人も、何人か連れて来ているみたいだった。その友人は何故か、頭を丸坊主にしていて、その頭はどうしたんだ、と龍介が尋ねると、ちょっと気合いを入れようと思って、とか言っていた。

 知美は色々なチラシや、解説の様なものを読んでいる。
「それどうしたの?」
「え?ああ、入り口のチケットを売っていた横に置いてあったよ。いくつか、日本語字幕のない作品があるみたい。」
 龍介も知美が読み終った分や、チラシの一部を分けて貰って、一応、目を通しておくことにする。
「でも、これで三千円って、本当にお特って感じ。」
 と知美は嬉しそうな顔をしている。
 シンポジウムの後、映像と音楽のインタラクティブ・ワークとゆうのもあって、外国から来ている、少し前衛的なミュージシャンや、そこでDJをする人が最近話題のミュージシャンなのだそうだ。確かに、他の東京で行われるコンサートに比べると割安かもしれない。
 都内の美術館や、映画館や、その他のスポットで、秋から年末に行われるシンポジウムや、パフォーマンス、来日コンサートなどのチラシがたくさんある中に、主催者側のチラシもあって、『この講堂で行われるイベントは非営利目的で、収益金は運営資金に使われます。他の商業目的の場所と比べて、決してお特なスポットだと勘違いしない様にして下さい…。』と書かれている。知美はこれを読んで、さっきの事を言っていたのだろうか。

 今日の映画はスイスの映画作家で、日本では、かつて、映画祭などで一、二度上映された以外は、劇場公開されていない映画作家の作品で、シンポジウムには、今回その作家の作品を日本に配給することになった、島村とゆうディストリビューター、深谷とゆう映画にも造詣が深いと言われる、新進の歴史学者がゲストに呼ばれていて、映画研究会の学生も参加して、質問会が後ほど行われることになっている。

 島村直哉は渋谷の公園道りから、少し入ったところにある雑居ビルの十階にある、キャパシティー三百席の映画館の経営者でもある。渋谷は新宿や銀座など同様、映画館が十数館ある激戦区だが、九十年代始めに、オープンしてから徐々に学生や、シネフィルの間で、面白い映画をよくやっている映画館だ、とゆうふうに認知されてきて、特にここ二、三年は上映プログラムが充実していて、にわかに話題のスポットとして雑誌などでも取り上げられたりしている。
 島村の映画館の特徴は、いつもレイトショーが組まれていて、比較的夜遅くまでやっているのと、映画館の前にそんなに大きくはないが、食事もできるキッチンバーがあることだ。アメリカやヨーロッパのそんなに立派ではないが、六十年代頃の未来派的なデザインのアンティークのソファーや、インドやアラブ風のソファーなどが、全く不揃いにたくさん置いてあって、大きなサイズの古い映画のポスターがたくさん張られている。
 店のコーナーを利用して、映画の本やビデオも売られているのだが、洋書店には置いていない映画の脚本なども置かれている。
 また、店には日本で売られている映画雑誌以外に、ニューヨークやヨーロッパの有名なシネマテイクのリアルタイムのプログラム、映画新聞などが無造作にテーブルの上や雑誌入れの中にいくつも置いてあって、キッチンバーの客は自由に読むことができる。
 だから、ただ映画を観ないでそこにいても、また一人で立ち寄っても、映画が好きな人なら飽きることがなくいられる、落ち着いた空間を作りだしている。
 島村が外国にいる時におもしいと思った本を見つけては送ったり、プログラムなどはアメリカやヨーロッパに住んでいる知り合いに定期的に送ってもらっているもので、どれも島村自身が仕事がら必要であったり、興味があって集めているものをそのまま店にも流して置いてある。
 島村は自分の映画館をオープンするまでは、出版社に勤めたあと、洋画の配給会社に転職して経験を積んだあと、独立して個人的なコネクションで仕事をしてきている。一年の半分以上は映画の買い付けで世界中を飛び回っていて日本にはいない。
 単館だけで上映される、少しマニアックかもしれない芸術的な映画やドキュメンタリーだけではなく、他社との共同でハリウッド映画の買い付けも行うし、日本の映画、映画史に残る名作など、島村の扱う映画の幅は広い。
 特に島村自身、特定の地域やジャンルにこだわっているとゆうことはないし、こだわりを持たないように仕事をしてきた。
 ただ、島村の仕事がここ数年際立っていると世間で注目されている理由は、カンヌやイタリアなど海外の映画祭やマーケットで、それまで全く注目されていなかった作品を、どこからか見つけてきては、それを全国に配給を行い、またそれがテレビなどで放映されるなどして、成功を納めているとゆう点だ。インドや南米、ヨーロッパなど国籍は様々だ。また、その事によって、日本以外の映画関係者にも、少なからず注目され始めているとゆう。
 映画を買うときは、配給権、テレビなどの放映権、ビデオ化権などの全権を買うのだが、映画を買い取った後すぐに、日本語の字幕翻訳なども島村自身が数日で行っている。なんでも、島村は九カ国語をかなりのレベルでマスターしているとゆうのだ。


 会場の中に知美達が入ってみると、学生が多いのではと思っていたが、年配の人や、中年のカップル、評論家風の人など、幅広い年齢層の人が会場に居ることに知美達は気が付いた。会場はすり鉢状で、千人以上は楽に収容できるかなり大きなホールだが、会場一杯に人が入っている。みんな、どこからか情報を得て集まってきて様子だが、ラジオでは宣伝したが、情報誌には日程とタイトルしか今回の上映の事は出ていないはずだ。

 龍介の知り合いたちは、うまい具合に席が取れてそれぞれ座ったようなので、知美と龍介はゆり子が用意してくれた、音響装置の後ろの席にすわることにした。
 会場の外にまた出て、しばらく数人で集まって、知らない者どうし簡単な自己紹介をしたり、近況報告みたいな雑談していたら、まもなく開演のブザーが鳴った。


 司会のゆり子が簡単な挨拶と上映される映画のタイトル、プログラムの説明を短く行ったあと、島村を紹介した。
 ステージの脇から、少し黒っぽいフェールトのゆったりとしたスーツを着た、丸みのある銀色の眼鏡を掛けた中年の男が現われた。目の周りが深く窪んでいて影を作っているのが遠くからでもわかり、その横に皺がたくさんできているが、クールでさわやかな笑顔をしている。頭は少し禿げかけているが、短い髪形が自然に顔と合っている感じだ。

 「えー。今日上映する、ジャニス・デリュックとゆう映像作家の作品を僕が最初に観たのは七十年代で、僕がまだ大学生の頃です。
 東京で行われたヨーロッパの映画祭で、短編映画のアンソロジーのプログラムの中で数本上映されていて、白黒の霧のかかった様なトーンの画面や、どの様に撮影されたのかわからない、とにかく流れるようなカメラワークが作り出す映像世界がとても印象的だったのを覚えています。
 しかし、デリュックの作品が日本で上映されたのはその時だけです。
 僕が映画館をやり始めて、数年前から、デリックの作品を上映できないだろうかと思い探していたのですが、彼女の出身のスイスではほとんど知られていない。
 イタリアやフランス、ドイツなどの映画関係者や批評家の間では何人か彼女の事を知っている人がいて、八十年代の中頃まで、定期的に作品を発表していたようなのですが、その後は作品も発表していなくて、誰も今どうしているのか知らない。
 ある批評家の話では、彼女は完全な秘密主義で、昔から、映画や撮影の事などいくら聞いても何にも話してくれないし、撮影もいつも数人で極秘で行うんだ、とか言っていて、とにかく、その時は彼女自身も姿を完全に消してしまった様な感じだったんです。
 ところが、昨年オランダの映画祭で、知り合いの映画評論家と笑いながら話している女性がいて、彼女がデリュックだと紹介されて、別に隠れていたわけではないし、今はスイスとオランダに住んでいて、最近新作を撮り上げたばかりだから、良かったら家にきて観てくれないかとゆうことで、その時、全作品見せてもらい、今回上映できることになったのですが…。」

 島村の話の後会場が暗くなると、まず初期の三分から五分の短編作品から上映された。

 白黒のサイレントで、草原に若い女性、おそらくディリック本人と思われる女性が写っている。カメラが彼女の回りを回転するように、背後の風景も回転している。その後は、ただ、草原を歩いたり、走ったりしているシーンが続くのだが、カメラが地面と平行してスムーズに彼女の足元の方から写していて、彼女が歩く方向を変えると、それにつれてカメラもその動きをフォローする様に向きを変える。
 しばらくすると、今度はカメラは彼女頭の斜め上に鳥の様に上昇して、その位置から彼女に少し近づいてはまた離れるとゆうようなシーンになり、彼女が歩く向きをくるりと変えると、カメラもすーっと彼女の前に回わるとゆう、取り立てて何が起こるとゆうわけではなく、歩いたり、走ったりしているだけなのだが、島村の話していたように、異常にスムースなカメラワークとそのリズムが独特な作品がまず上映された。映画の中では、ディリック本人は演技しているとゆう風でもなく、普通に笑ったり、誰かと話をしたりしている。サイレンなので何を話しているのかはわからない。
 その後も、白黒のサイレント作品がしばらく続いて、部屋の中で彼女が誰かと話しをしたりしているだけの映像や、アルプスの山脈を写したり、コートを着て雪の中に立っていたり、夜空に花火が写ったりする単純な映像に、字幕で『冬』『生活』『遠くからの雨音』『神秘』『伏せて座っている』『時計』といったような言葉が出てくる、単純な詩のような作品で、動きのあるシーンには随所に、最初に上映された作品同様にスムーズでリズムのあるカメラワークが見られた。
 また、全体的に粒子が荒く、ざらざらとした砂を思わせるような白黒の画面で、それは最初、映像が十六ミリで古いからそうなっている様に思えたが、時々、風が吹いてきたよに、または、波のように画面が白くなるシーンが何度もあり、やはりその様な効果を意図的に作りだしているのだ、と思わせる素晴しいシーンが何度も現われた。
 サイレントの作品が上映されたあとは、カラーやサウンドの作品も引き続いて上映された。音楽と文字と映像の作品や、詩の朗読や物語的な作品、どれも五分から十五分ほどの短、中編の作品で、少し哲学的な内容のものなどもあった。
 そして、最後に最新作の一時間十分弱の『BANK』とゆう作品が上映された。
 ところが、その作品はそれまでの作品とはうって変わり、高解像度のハイビジョンの様なくっきりとした画面の映画だった。ストーリーもそれなりにあるドラマ仕立ての作品で、銀行家の主人公とその恋人とのラブストーリーで、日常生活、仕事の悩みや、近所の人々とのふれあいとか、そういった事柄が描かれていて、それなりにストーリーも楽しめるドラマと言った感じの作品だった。
 ただ、文字やそれにかぶさってナレーションが入ったりするスタイルは相変わらずで、これまで以上にそれは洗練されていると思えるパートがいくつもあった。
 また、役者どうしはごく普通の演技で会話をしているのだが、よく聴くと一人はフランス語で話しをしているのに、その相手はドイツ語で話していたり、またはイタリア語、英語であったりした。
 画面が時々黒味になって現われる文字も、複数の言語が現われては消えるグラフィック的なものや、詩的な内容の一つの文章が複数の言語で、上から下に現われては消えていくとゆうシーンが何度か現われた。


 約二時間の映画の上映の後、会場が明るくなると、司会のゆり子が再びステージに現われた。入場に時間がかかり過ぎて上映開始が少し遅れていたのと、その後にまだ、映像と音楽のインタラクティブワークもあるので、シンポジウムの時間は三十分ほどしかないとゆうことがゆり子から告げられ、五分間の休憩のあと島村と深谷のシンポジウムが始まった。


「僕は今回、このジャニス・デュリックとゆう映像作家の作品を観たのは初めてなんですが、スイスは確かポリグロットとゆうか、フランス語とかドイツ語とか複数の言語が公用語となっている国ですね。」
「ええ、あとイタリア語ですが、英語もだいたい通じます。映画のなかでも、町中を撮ったシーンに少し出てきましたが、スーパーなんか行くと、たいていは、フランス語、ドイツ語、イタリア語、英語の表示が出ています。」
「やはり、今日デュリックの作品を観て感じたのは、多言語が公用語のスイス出身とゆことと深いつながりを感じずにはいれないのですが。
 ヨーロッパの人は国境を超えてすぐ行き来できるとゆうこともあって、二、三の言語を話せる人が普通にいるみたいですね。僕は英語以外はスペイン語とフランス語の日常会話を片言で少し話せる程度なのですが、島村さんは九カ国語話せるとお聞きしたのですが。」
「マスターしていると言えるのは七つの言語ですが。」
「いや、それでも凄いと思いますよ。」
「それも、仕事上のことと、昔から本当に外国の映画を観るのが好きだったからなんです。あと、新しい言葉を習得する楽しみみたいなものに少し取りつくかれているとゆうのもありますが…。
 その土地で話している言葉をわからないで訪れた時と、少しでも話せるようになってから訪れるのとでは全く違いますよね。」
「ああ、それは僕もわかります。少し自分にとっての世界が変わる感じがしますよね。」
「ええ。でも、今回のデュリックの作品は日本語字幕を付けられなかったんです。」
「最後の『BANK』とゆう作品ですね。あれは、フランス語とドイツ語の会話が出てきたり、英語だけの会話が出てきたりして僕もびっくりしたのですが。」
「先ほど、深谷さんが指摘されたように、この作品は多言語での会話そのものが、一つのテーマになっているとゆうか、これは語学の習得の教材としても観られることを前提に作られた作品なんです。」
「語学の教材ですか。」
「正確には教材ではないんですが、この作品はフランスの地方の小さなテレビ局の以来で制作された作品で、日本のNHKの教育テレビの様な時間枠で放送されることもあって、デュリックとプロデューサーとで企画の段階でそのよなことも考慮されて制作された様です。ただ、それはデュリック本人にも、教材としてはどれだけ効果的ものに仕上がったのかはわからないと言っていましたが…。
 テレビ局のプロデューサーが、デュリックの短編作品を知っていて、言葉と映像をテーマに長年映画を作っていた彼女に制作を依頼したようです。」
「確かに、初期の短編からそれは一貫していますね。文字と映像だけの作品はもちろん、サイレントの作品でも、話している内容は聞き取れないのに、何か話しをしているだけの映像がずっと続いたりする作品も関係があるような気がしてきました。
 サイレントで話しをしているだけの映像が続いているのに、それがまったく嫌な感じがしないとゆうか、退屈な感じになっていない。『BANK』とゆう作品も僕はフランス語やドイツ語はほとんど聞き取れなかったんですが、観ているだけでも、おもしろいとゆうか、何となく意味がわかるような気がして不思議な感じがしてたんです。
 ただ、映像の質感がそれまでの、特に初期の白黒の作品とは全く違う、高解像度の画面になっていたのは、少し、やはりテレビ局からの依頼で制作された作品だとゆう感じがしてしまいますね。」
「ええ、確かにそうなんですが、あれはデジタルの最新式のカメラで撮影されたそうです。デュリック本人は、彼女の特に初期の作品集を観た印象とは違って、かなり山っ気があるとゆうか、新しいテクノロジーには常に興味があるみたいですね。本人と会った感じではそうゆう印象でした。
 僕が彼女のスタジオを訪れた時も、インターネットに夢中になっていて、コンピューターにもちゃんと最新式の編集ソフトがあって、録音などにはそれを使っているようです。ただ、やはり自分にとって映画とはフィルムのことで、これからもそれが自分の表現活動の中心になっていくとゆうことには変わりはない、と話していましたが。」

「ところで、僕は今日、会場の皆さんにお聞きしたいことがあるんですが。先程の『BANK』とゆう作品は日本語の字幕を付けようとすると、画面の文字と重なってしまったりして、色々考えた結果、日本語の全訳を配るとゆうことになったのですが、感想やどの程度会話の内容やストーリーを理解されたのか少し聞いてみたいのですが。」
 
 島村がゆり子の方を見ると、ゆり子は了解しました、とゆう感じでマイクを持って会場の中に歩いていった。
 五、六人にゆり子がマイクを向けて質問したところ、退屈だったとゆう意見はなく、ほぼ好意的な感想だったが、だいたいのストーリーは理解できたけど、会話の内容まではわからなかったとゆう意見が多かった。
 また、ドイツ語かフランス語かイタリア語のどれかがネイティブと同じレベルにできれば、会話の内容もある程度推測ができるのではないか、とゆう意見もあったがその通りだった。
 その後、島村から再び質問があり、では、この作品を上映する際に、やはり字幕を付けたほうがいいのか、今回みたいに日本語の全訳を配ったほうがいいのか、とゆう質問には、ほぼ全員が字幕は付けないほうがいいとゆう意見だった。
 
「退屈だったとか、否定的な意見がもう少しあるかと思ったんですが…、今日は皆さん島村さんがみえることもあって、少し遠慮されてるのかな。でも、確かに字幕を付けると文字と文字が重なってしまうし、画面が複雑になりすぎるのは、この会場に来ている方はわかるんでしょうね。あと、映像だけみていても、美しかったから良かったとゆう意見もありましたし。」
「ええ。ただ、自分でこういった作品を今日のような形で紹介しておきながら、少し矛盾しているかもしれないのですが、台詞や文字が出てくる映画をそれを理解しなくても鑑賞したとゆうことになるのか、とゆうことに関しては僕は当然否定的なんです。
 台詞や言葉がある作品をそれを理解していない場合は観たことにはならないと思います。今回の映画は上映前や、またはこの後、日本語の全訳を読んでもらってかろうじて観たとゆうことになると思います。
 言葉がある場合、同じ映像との組合わせでも全く逆のことを表わすこともできますから。
 外国の映画を字幕なしで観る時や、あるいはこれはドキュメンタリーやニュース映像などでもそうですが、言葉がわからないで映画を観るとゆうのは、時としてとても危険なことにもなりうると思うんです。
 それで、今回の映画も劇場ではレイトショーの枠で一般公開を予定しているのですが、果たしてこうゆう作品を上映していいものか、少し悩んだんですけど、公開しないよりはいいと思って、結局公開することにしたんですけど…。」
「やはり、これはそれこそ、劇場より日本語訳を観ながら語学の教材のようにして、ビデオで観るのがいいのかもしれませんね。劇場の大きなスクリーンで一度観ておくのはいいかもしれないのですが。」
「ええ、僕もそう思います。」

「技術面に関して少し島村さんにお聞きしておきたいのですが、先程デュリック本人は新しい技術に対して積極的な人だとゆうお話しだったのですが、初期から中期の作品に随所に出てくるあのカメラワークはどの様にして撮影されたんでしょうか。」
「うーん。それはやはり、企業秘密とゆうことだと思うんですが。」
「僕はラジコンか何かを使ったと思ったんですが。」
「えっ。ラジコンって、どういった意味ですか。」
「あの、ラジコンのヘリコプターか何かにカメラを付けて、撮影をしたのではないかと。」
「ああ、なるほど。でも、室内の撮影でも似たようなショットがでてきますし、別なのかもしれませんが。」
「ああ、そうですね。いや、さっきふと思ったものですから。」
「まあ、技術的な事柄はあまり追求しなくても、作品そのものを観ているのがいいと僕は思うんです。とゆうのは、あまり安易に技術だけを真似をした映像が増えたりするのは良くないと思いますから。
 例えば絵画だとピカソやブラックがやりだしたキュービズムでも、ジャクソン・ポロックがやりだしたドリッピングなどでも、技法だけを真似しようと思えば、あれは簡単にできますよね。
 でも、そんなことをしても意味がないと思うんです。映画の場合は表現技法とゆうよりも、技術的なものと捉えられることがあるので、そこのところは微妙だと思うのですが。」
「確かにそれはそうですね。最近のテクノロジーだとソフトを開発した人が一番創造的なのではないかと思ったりもしますし。確かにそれは微妙なところなのですが…、僕は今日デュリックの作品を観ていて思ったのは、映画のおもしろさとゆうのは案外シンプルなカメラの動きや、そのリズムにあるのだなあ、とゆうことを改めて感じさせられたとゆうか…。
 とにかく、あれだけスムーズで流れるようなカメラワークは、何も役者が演技をしていなくても気持ちがいい。
 もちろん、デュリック自身は下手な役者より、写っているだけで存在感があるのだと思いますが。」
「ええ、言われるままに、どんな作品にでも出演して、うわべだけの演技をしてばかりいる二流の役者よりかは、全然存在感はある人ですね。」
「あれだけ、創造的な活動をしている人ですし、すごく内側にパワーがある人とゆう感じがしました。オーラの様なものがあるとゆうか。」
「僕が彼女の仕事場を訪れて直接会った時は、すごく自分に正直に生きている人だとゆう印象でした。あと、自分自身の価値観や、規範のようなものを持っていて、それに忠実に仕事をしている人だと。
 そのことが、一部の批評家には秘密主義だとか、少し近寄りがたい印象を与えてしまったりしてしまうのかもしれませんが…。」


 島村と深谷の映画をめぐる対話はその後も、どんどん続いていくようで、観客も興味深く聞き入っていたようだったが、予定の時間がきたころ、ゆり子は自分の時計を指さして島村たちに合図を送った。

「ああ、それでは時間が来たようなので。」
「今日これから行われるパフォーマンスの映像もデュリックの企画ですよね。」
「ええ、そうなんです。最近よく行われている、インタラクティブな表現にもすごく興味を持っているみたいで、本当に野心的とゆうか(笑)。」

 島村と深谷がステージの袖に、拍手で送られて姿を消したあと、再び五分の休憩が設けられた。

 「どうだった。」
 知美は日本語の全訳を難しそうな顔をして読んでいる。
 「うーん。わたしは短編が好きだったけど。どうしてあんなにカッコよく撮影できるのかな。でも、本当に今日は盛りだくさんのプログラムって感じね。」
 
 すでにあらかじめステージ上に置かれていた音楽器材のセッティングを大急ぎでスタッフが行っている。
 そして、まだスタッフがステージの上にいて作業をしている時に、まず外国から来ている音楽家が一人、鉄の長いノコギリの様な物をステージ上で振り回し始めた。
 その後ブザーが鳴って、会場に入ってきた観客はいったい何が今度は始まったのか、とゆう感じで笑いながら席に向かっている。
 
 長いノコギリのような楽器は、振り回すとヒュン、ヒュンと風を切る音がして、波を打たせるようにすれば、ブアン、ブアンとゆう音がするのだが、もうノリノリになって演奏している。
 床にノコギリの様な楽器を叩きつけるとまた別の音がするのだが、やはりノコギリとは少し違ってよく音が出る様に作られているのか、反響音が会場全体に響わたっている。
 最初は少し面を食らったように、呆気にとられていた観客も徐々にその奇妙な楽器の作り出す音に聴き入っていた様で、とりあえずその短い演奏が終った時には、全力でパフォーマンスをしていたその演奏家には拍手が送られた。
 その次に、ステージの袖から、他のミュージシャンも姿を表わしたのだが、少しずんぐりとした眼鏡をかけた、裾の広いジーンズをはいた日本人が姿を現わすと、会場でオーとゆう歓声が一部で湧いた。龍介はいったい誰なのかわからなかったが、知美も拍手をしていたので聞くと、最近クラブとかで人気が出てきたDJだと答えた。

 その後、再び暗くなり映像がスクリーンに写され、音楽の演奏が始まった。
 ミュージシャンにはスポットのライトが当てられ、DJはその映像を観ながら、何か早口で話し始めた。しかし、何を言っているのかはよく聞き取れない。それ以外にはキーボードも映像に合わせて即興を加えて演奏している。先程のノコギリの男も加わって演奏している。
 五分から十分ほどの、おそらくデジタルカメラで撮影され、編集された映像が続けてスクリーンには写し出されている。
 映像と音楽のインタラクティブワークとゆうことで、本当なら当然音楽から映像にフィードバックがあってもいいのだろうが、今回はデュリック本人は来日していなので、少しシンプルな構成になっているみたいだ。
 音楽全体としては、それぞれがバラバラに映像から受けたイメージから音をその場で創り出している感じだが、途中うねる様にグルーブがかかる時もある。そして、それが器用にうまくデュリックの映像のリズムに合わせて演奏されている。
 一応まとめ役はDJがやっているみたいで、タイミングを合わせて、あらかじめテープに録音されている音楽を鳴らしたり、その場でノコギリのような楽器の音など、会場で演奏されている音をその場ですぐ編集して鳴らしたりしている。
 
 映像の方は少しデジタルに画面が変わっていくMTV的なものも感じられたが、最後は長回しで動物が平原を走ったり、波などが写るゆったりとした感じの映像が写し出された。
 ノコギリの男は、今度は大きな竹の子のような物に砂みたいな物の入った楽器に持ちかえて、波のような音を出し、キーボードも静かな演奏に変わった。
 そして、三十分ほどのミニコンサートも終り、プログラムのすべてが終了した。

 結局シンポジウムを含んだ今回の企画は大盛況のうちに終ったようで、観客はみな満足した様子で帰り始めた。みんなそれぞれ、今日の映画やシンポジウムについて話し合いながら歩いている感じだ。


 知美と龍介もとりあえず席を立ってロビーの様なところまで出て一服している。
「今日これから、打ち上げがあると思うんだけど。」
 龍介は時計を見ると、
「うーん。でも、おれは今日は飲んでしまうと。」
「どうして?ゆり子は司会だから、もうすぐやってくると思うけど。そんなには、飲まないとは思うけど。」
 しかし、龍介は今日みたいな日に限って、知り合いから受けた不動産会社のウエップ・サイトのデザインの締切があるとゆうことで一人で帰っていった。


 龍介が帰ったあと、知美は映画のスタッフと一緒に話していたが、ゆり子はすぐに知美のところにやってきた。
「日比谷にある店を予約してあるみたいだから移動することになるんだけど、あれ、龍介くんは?」
「仕事があるから帰ったけど、ここから日比谷まで行くの。」
「うん。有楽町なんだけど、何人かでタクシーで行くか、水道橋から地下鉄ですぐ日比谷まで行けるみたいだから。」
 とりあえず、ゆり子は映画のスタッフや打ち上げに参加する人には店の場所と行き方を説明して、ゆり子と知美と哲也くんと三人はタクシーで移動することにした。

 タクシーは夜の丸ノ内のビル街を抜けて、十分もかからずに日比谷交差点から有楽町方面に少し行ったところにある目的の店のあるビルの前まで行って停車した。

 三人が地下に階段で降りていくと、途中で今島村の映画館で上映されている映画のポスターが張ってあって、木の扉を開けると小さいテーブルの上には、近くの銀座などで上映されている映画や演劇のチラシが置いてあった。
 島村の知り合いが経営している、地中海の料理がメニューの中心になっている居酒屋の様な店で、すでに大きなテーブルの周りには数人のメンバーが来て座っていた。
 ゆり子と哲也と知美も適当な場所を見つけて、座ることにした。
「哲也くんの会社この近くでしょ。」
「うん。でも、ここは来たことないよ。昼間もここやってるのかな…。」
 しばらくすると、島村と深谷や、パフォーマンスをしていたメンバーの数人も店に現われて、大きなテーブル以外にも適当に場所を見つけてだいたいの人が座った頃に、料理が運ばれてきた。
 知美たちは食事をまだ済ませていなかったので、とりあえずパスタや魚介類などの料理を食べることに専念することにした。
 知美たち以外の人達も、だいたい同じみたいで、まず食事をしながら、ワインやビールを飲んだり、適当に近くの人と話をしたりして和やかなにくつろいでいる感じだった。
 しばらくは、知美たちは、映画やシンポジウムの自分の知っている者どうしで話していたが、やがて一段落した頃に、知美は島村と少し話す機会を持つことができた。


「あの、私たちも今自分たちで映画を制作しているんです。」
「へー。どういった感じの?」
「普通にストーリーがある映画じゃなくて、どちらかと言えば今日のデュリックとかに少し似ているかもしれないんですけど、映像詩みたいなのを最初に撮影していて、それを観ながら、みんなで話し合いながら、また撮影していく感じで、まだ、途中なんですけど…。」
「それはビデオで撮影してるの。」
「いえ、十六ミリです。」
「だったら、結構、予算を掛けてるんだ。」
「ええ。みんなでお金を出し合って。」
「ふーん。脚本なしで、まず撮影から入る映像作家は沢山いるし今日のデュリックもそうだしね。おもしろいと思うけど、でも、僕はビデオの方がそうゆうやり方には全然適していると思うんだ。ビデオだと何度も観ることができるし、撮り直しがきくしね。」
「ええ。でも、フィルムの方が映像がきれいだと私は思うんです。」
「今日、深谷さんも、似たようなことを言ってたけど、ビデオでも高解像度のカメラできちんと撮影すれば、きれいに撮れないことはないよ。ビル・ビオラって有名なビデオ作家が自然や動物を撮った映像なんか本当にきれいだよ。
 ただ、明暗とゆうか、カメラの露出のことだけど、それはどうしようもないけどね。昔、映像エンジニアと話をしたけど、これはハイビジョンとかいくら解像度が上がっても、ビデオではできない。だから、化粧品やお酒のCFなんかずっとフィルムでネガを作ってビデオにしたりしていたみたいだけどね。最近のデジタルカメラではどうなのか僕はちょっと知らないけど、今日のデュリックの映画も明かに映像の質感が違ったしね。」
 
「あの、この店の前に島村さんの映画館の映画のポスターが貼ってあったんですけど、知り合いの方が経営されてるんですよね。」
「うん。昔から知っていて、映画ファンだから。うちは、とにかく、映画館以外のレストランや店でもポスターを貼らしてくれるところには、貼ってもらっているんだよ。今は、チラシなんかを置いてもらっているところも、映画館より普通の店の方が多いよ。
 ところでさ、今日シンポジウムの時に言おうと思って、時間がなくてうっかりしてたんだけど、来年の春頃に、うちの映画館で、自主制作の映画の映画祭をやることになっているんだ。
 うちの映画館も他の映画館と同じように、邦画より、外国作品の方が多く上映してるんだけど日本の映画もなんとかしたいんだ。
 昔から中原さんたちの様に自分たちで映画を作る人は沢山いたし、また最近たくさん若い人が自分たちで映画を撮っているみたいなんだ。
 でも、何故いい日本の映画作家が出てこないかとゆうのは、ビジネスになってないからだと思うんだけど、何とかできないかと思ってね。情報誌とかもやっているけど、別にそうゆうのはいくつあっても構わないと思うし。あと、中原さんはデザイナーだよね。」
「はい。」
「ウエップ・サイトのデザインとかはできるのかな?」
「ええ、最近少しその関係の仕事もしたんですけど、まだ、それほど…。」
「そうか、でも、少しでも、仕事をしたことがあるんだ。いや、うちの映画館のホームページもデザイナーを募集して作ってもらったんだけど、高い割にあんまり良くなかったから、とりあえず今ホームページはやってないんだ。それを中原さんにうちの専属でできればやってもらいたいんだけど。」
「ええ、ぜひ。今日は来ていないんですけど、映画をいっしょに作っている友達のデザイナーの方がウエップについては詳しいのでいっしょにやればいいのができると思います。」
「そうか、良かった。じゃあ、それは来週にでもこちらから詳しいことは連絡します。今はそれほど困ってないけど、映画祭とか、ウエップとかを絶対使いたいと思ってたから、探さなければいけないと思ってたんだ。やっぱりプログラムだけ組める人じゃなくて、アートのセンスがある人にやってもらいたかったから良かったよ。」

「そう言えば、島村さんの映画館の前にもキッチンバーがありますよね。」
「うん。観に来てくれたことあるんだ。」
「ええ、何度もありますよ。でも、凄いですね、配給以外に映画館を経営されてるなんて。島村さんは映画館をやるまでどうしてらしたんですか。」
「出版社に勤めたあと、配給会社でしばらく働いていたんだ。」
「そのあと、独立して映画館を渋谷にオープンしたんですか。」
「うん、そうだけど。」
「島村さんはもともとお金持ちだったんですか。」
「え。いや、まあ。それまで配給だけでしばらくやっていて、銀行とかからもお金を借りたりして色々大変だったけどね。そうか、中原さんも、事業主だからな。」
「ええ、でも最近経営の事とかも、きちんと勉強したいと思ってるんですけど、島村さんはほとんど日本にはいないとお聞きしたんですけど。」
「うん。僕は映画の買い付けをできるだけ自分でやりたいんだ。」
「奥さんとかはどうされてるんですか。」
「え。どうされてるって…、会社の仕事も手伝ってもらってるけど、この前は子供と近くの公園でフリーマーケットをやったとか言ってたな。全然売れなかったとか言ってたけど。でも、どうしてそんなこと聞くの。」
「いえ、今ふと思ったものですから。」

 有楽町の夜は更けていき、みなほろ酔いかげんで、それぞれ楽しく過ごしているようだった。
 少しづつ人は減っていったが、知美はゆり子と哲也と相談してタクシーで帰ることにして、まだ店にいることにして、色々な人と話を続けていた。
 そして、十二時を過ぎて、だいぶ人が減ったころに、島村が、じゃあここはもうすぐ閉しめなければいけないみたいだから、銀座の方にあるバーに行ってから帰ろうか、と声をかけたので、知美たちも行くことにした。
 夜の銀座の街は晩秋で少し冷えていたが、それなりにまだ、活気があって、タクシーやベンツなどの高級車が路上に止まっていて、そこから、乗り降りする人、金持ち風の人、会社員、ホステスや着物を着た女の人などさまざまな人たちが、それぞれの夜を過ごしている様子だった。
 島村や知美たちは雑談をしながら、有楽町から銀座にあるバーまで歩いた。そして、一時間ほどまた、飲みながら話をして、その日は帰ったのだった。





*この物語は現実を題材に、誇張、削除、想像などを加えて書かれたフィクションです。
 また、現在この先のアップロードの予定はありません。
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