ディスカッション2

     
インプロビゼイション 

 オレの名前はニック。今日はトライベッカのニッティング・ファクトリーで演奏することになっている。もう何度も、ニッティング・ファクトリーには出演している。常連と言ってもいい。昔は、ハウストン・ストリートのブロードウェイが交わるところにあったのだが、今はトライベッカに移ってきて、少しこぎれいになった、主に前衛音楽が演奏されるクラブだ。オレ以外の常連は、フレッド・フリス、ローリ・アンダーソン、ジョン・ルーリーと言ったところだろうか。
 昔は、何も考えずにただライブハウスに行ってステージに立てば、自然とハイテンションのサウンドを演奏することができたのだが、最近はどうもテンションが落ちてきている。また、オレのやっている様なアグレッシブなサウンドは、もうニューヨークの街の雰囲気からすれば、一昔前のサウンドと言ってもいい。しかし、オレの方も以前とは違い、この何年かの間にインテリジェンスを身につけて、やりたいことが変わりつつある。

「ねえ、何を考えているの?今日のステージの事?」

「ああ。ステージの枠組みや、マイクともこの前あった時に話してやるべきことは、ほとんど決まっているんだ。でも、何かいま一つとゆう感じがしてね。」

「そうなの。この前の打ち合わせの時聴いたのはおもしろいと思ったけど。ほら、街の音を使ったやつ。」

「別に新しくも何もないけどね。」

「でも、すごくいいムードが出てたところがあったは。」
「そう?まあいい。そんなことより、何か外に食べに行こう。」

 街に出ると、徐々に夕暮れになり始めていた。それほど寒くもなく、いまが一番いい季節かもしれない。

 ブロードウエイをチャイナタウンのところまで下ってきたところで、物凄い人だかりができていた。真っ白の巨大なライトが二つ炊かれている。フィルムのシューティングだ。車の上に乗って見物している者もいて、かなり注目を集めている。しかし、普段はそこを通るだけではあまり目につかなかった、いかにもギャングと言った感じで黒い革のジャンパーを着て、鎖のネックレスを付けたチャイニーズが何人もいる。かなり肉付もよく他の人種と比べて体格的に全く劣ることがない。頭にバンダナを巻いて海賊といった感じの者もいる。最近のチャイニーズマフィアはやはり健在なのだろうか。チャイニーズ以外にもプエリトリカンや黒人や白人などもいるのだが、とにかく全体的にラフな感じの人間ばかりが集まっていることに気が付く。アクション映画か何かの撮影だろうか。ビルの上の方を見ると、繊維工場の女工達も注目している。チャイナタウンの繊維工場は何年もニューヨークに住んでいるオレからしても全く別世界だ。この前CBSニュースで、まだ十代の子供が十時間以上も学校にも通わずに働いているとゆうチャイルド・レイバーが問題になっていたが、本当なのだろうか。しばらく撮影が行われるのを待っていたが、なかなか始まりそうもなかったので、やはり食事に行くことにする。

 チャイニーズは止めて、キッチンバーでギネスとピザを食べる。彼女は白ワインを注文した。この店はものすごく多くのワインがそろっている。彼女の注文したワインを少し飲んでおいしかったので、ギネスの次に頼むことにした。

 そとは、もうほとんど暗くなってきている。仕事帰りのファッショナブルな人達がソーホーの石畳の道を数人で、楽しそうに通り過ぎていく。

 カウンターの奥にインターネットが置いてあって、彼女はそこで何かメールを仕事先か友人宛に書いている。近くに行って、メール
を出した後、ネット・サーフィンをする。サーチエンジンでルー・リードをサーチしてみる。何十とゆうルー・リードに関する、サイトが出てくる。おそらく、その多くはファンが自分の趣味で作ったものだろう。彼はいまだにカリスマなのだ。その後、ニティング・ファクトリーのサイトを出してみる。今日の出演者のところに自分の名前が出ているのを確認する。あと一時間半後だ。







 

 龍介は知美とゆり子がコンピューターの画面をマウスで送りながら小説を読んでいる間、煙草を吸ったり、雑誌を眺めたり、他の事をやっているふりをしながら、チラチラと二人の表情を観察して、どうやら読み終えた頃に感想を聞いた。
「どうだった?」
「え…。どうだったって、それほど悪くはない様な気もするけど、一時間後だ!って、なんかボクサーみたいね。でも、なんでニックって外国人の主人公なの?」
「いや、ニューヨークだから、外国人の方がなんかいいような気がしたから。あと、とにかく、自分以外の人を主人公にしなければ、エッセイになってしまう気がして。」
「なるほど…。でも、私は龍介がニューヨークにいた時の、自分自身の体験とかを書いた方がいいような気がするな。」
「うん。でも、CBSニュースの事とかは本当の事だよ。ローカル・ニュースはニューヨークにいる間はよく見てたんだ。英語はとても聞きとりやすい英語だったし。あと、撮影の事とかもおれが実際見たことだよ。」
「そうなんだ。」
「でも、とにかく、おれにとっては自転車にずっと乗れなかったのが、ある時、突然乗れるようになった感じなんだ。
 高校の時、映画を八ミリで作ったんだけど、それは、映画の雑誌に出てた他人の脚本を、文化祭で上映する為に、少し自分達に撮影しやすいように変更して作ったんだ。その時は、とにかく撮影とか演出がやりたかったから、その時はそれで良かったんだけど。その後、ずっとストーリーは書かなければと思ってたんだけど書けなくて、色々仕事とかしながら書くことを探していたんだけど、何か、すべてが消化不良のままになっていた様な感じだったんだ。短編の映像だけの映画は作ってたんだけど。それは八十年代の終り頃なんだけど、何も言うことなんかないよな感じだったし、現代の日本は映画や小説にはならない、と思い込んでいたような感じがしてたんだ。」
「ああ、それは、何となくわかるような気がする。日本の普通の人の人生とか、やっぱり平凡ってゆうか、劇的なこととかあまりないから、物語になりにくいのかも…。」
「うん。今は逆に問題とか沢山あって、言うべきことは沢山あるのかもしれないけど。
 でも、劇的な物語を作ろうとすると、葛藤が必要だったりする、とゆう事はよく言われるんだけど、そうなると、最も劇的で葛藤のある出来事とゆうと、戦争とかがそうなんだけど、そうではなくて、何かやっぱり、平和な時代の物語をまだうまく、物語れていないような気がするんだ。『ベルリン・天使の詩』でもその事は語られているんだけど。いい作家も減ってきているような気がするし、本を読む人も減ってきているような気もするし…。」
「でも、別に、戦争以外でもドラマティックなことはたくさんあるから、それで物語を作ればいいんじゃないかな…。葛藤を別な方向に向ける、みたいな。あと、この前見た、『PASSION』の中で、わたし、とても印象に残っているシーンがあって、ビデオに写った女の人の顔をストップさせて、彼女の顔にも物語はあるんだ、て言うシーンなんだけど…。」
「うーん。」

「あの、さっきの龍介君の小説でニッティング・ファクトリーーってでてきたでしょ。まだ、ソーホーの近くなあった時かな、その時、私そこで、坂本龍一を十ドルで聴いちゃった。」
「え、坂本龍一を十ドルで。」
「うん。アート・リンゼイってブラジル出身のギタリストがいるんだけど、まえ、坂本龍一とセッションしいたのを友達が知ってて、アート・リンゼイ&フレンズって、ボイスにでてたから、行ってみたの。
 そうしたら、一番最初の方に、その時、黒人のゲイみたいな人が司会をやってたんだけど、世界のアートスクールで、とっても有名なリュウイチ・サカモトって紹介して、すっと坂本龍一が出てきて、私、前から二列目くらいに座ってたから、五メートルくらいの距離だったかな。
 それで、その時はアート・リンゼイだったのに、四曲もピアノのソロでラストエンペラーとか、シェルタリングスカイとかを弾いてくれたの。」
「えー、いいなー。」
「でも、その時、店にあったピアノがすごく古くて、音が悪かったのもあったのかもしれないけど、アート・リンゼイとセッションをやってる時に、坂本龍一はギターのピックでピアノの線をガチャ、ガチャ弾いたりして、結局、ピアノの線を切ってしまって、それでも、構わずにピアノを弾いたりして、ちょっと変な演奏だったけど…。」
「ふーん。そのアート・リンゼイってどんな音楽をやってるの?」
「アート・リンゼイはジョビンとかとは、全然違って、ノイズみたいなギターを弾く人なんだけど…。」

「ローリー・アンダーソンって、あの人音楽家だったっけ?パフォーマーか。」
「うん。何年か前にうちの学校の卒業式にやってきてスピーチしてたけどね。パフォーミング・アートとかは、ローリー・アンダーソンあたりが作ったジャンルだと思うよ。あれは、演劇だとゆう人もいる。」
「女の人でしょ?」
「そう。」
「アバンギャルドで、バロウズとかとも、関係あるんでしょ。」
「アバンギャルドってゆうのは、そうかもしれないけど、バロウズとはニューヨークでただ、ナイトクラビングをしていただけじゃないかな。あれは、やっぱり、コンセプチュアリズムから来てるんだよ。日本でもそうだけど、あんまりコンセプチュアル・アートをきちんと理解できてる人は少なくて、広告とかのプレゼンテーションとか、コンセプトを言葉による作品の説明みたいに思っている人もいるしね。」
「それ、前も、龍介言ってたよ。ジョセッフ・コスースの『一つの椅子と、三つの椅子』ってやつでしょ。壁に、椅子の辞書の意味がパネルに言葉で書かれているのがかけてあって、その横に椅子を撮影した写真があって、まん中に、一つの本物の椅子が置いてある作品でしょ。その一つの椅子は、具体的なある特定の椅子にすぎなくて、作品全体で椅子のコンセプト、概念が展示されているんだって。私はわかるよ。翻訳なんかも、概念を別の国の言葉に当てはめてるんだと思うし。色々な国の言葉で、同じ内容の文章をたくさん並べた作品とか、あと、マクドナルドやコカコーラなんかも、あれは物ではなく、概念なんだって。」
「うん。でも、そのマクドナルドやコカコーラが物でなくて概念だとゆうのは、やっぱり、半分正しいようで、半分違うような気がするな。特に、芸術作品なんかと比べて、機械で大量生産されたプロダクトを概念とか言ってしまうのは、おおげさな感じがする。ただ、そういった物でも数や量が増えると、コンセプトや思想とかと関係してくるってことだと思うんだ。柄谷行人とかが、昔言ってたのはそうゆう意味だと思うけど。戦後のアメリカのポップ・カルチャーの影響とか…。
 おれ、正統な芸術とゆうか、マーク・ロスコとかの抽象表現主義の絵画は、本物を見てるから好きなんだけど、それより後の、六十年代とか、七十年代のミニマリズムとかは、批評家が半ば独断で提示した形式に沿って客観性を追求していて、見る人の好みとかを無視してるから、全然駄目だと思ってたんだ。ジャッドとかは、その中でも徹底していて、すっきりしているから実は好きなんだけど、全体としては批評家や一部の芸術家とか、内輪の人間だけにしか通用しない作品ばかりで、批評家が提示した絵の見方を、鵜呑みにしている感じなんだ。
 でも、ミニマリズムの次に、コンセプチュアルリズムが出てきて、コンセプトが芸術だってゆうのは、何もテキストとか知らなくても、それはそうだってゆうか、まっとうな芸術の解釈の仕方だとゆうか…。もちろん、それも多くある中の一つのアプローチにしか過ぎないんだけど。
 それで、その段階で、ようやく、作品を見る人によって、それぞれ違った意味が生産されるみたいなことを考えているんだけど、おれなんかは、フィルムをやってて、モンタージュを知ってたから、そんなのあたり前の事だったんだ。それに、コンセプチュアリズムよりあとの、ローリー・アンダーソンやメディア・アートもすでに知ってたわけだし。
 まあ、日本では何もそういった流れを知らなくて、メディア・アートとかを作っている人とかいるみたいだけど。だから、軽薄な感じの作品にならざる得ないとゆうか…。あと、そういった作品とか、インスタレーションの様な形式の作品だけが、現代の芸術だと、理論的に証明できるものとかは実はないんだ。たまたま、そうなってるだけで。おれは、別に今セザンヌの様な絵を描いてもいいと思うよ。」
「あのさ、さっきも龍介は言ってたけど、モンタージュって、正確にはどう言った意味なの。エイゼンシュテインのモンタージュとかは聞いたことあるけど。映像と映像の関係みたいなものなのかな。」

「うん、そうなんだけど、簡単な例で説明すると、三つ写真を違った並べ方をしてみるとわかりやすいんだけど。

 一、お腹を抑えて、顔を少し歪めている子供の写真。

 二、カレーライスの写真。

 三、胃薬の写真。

 まず、一の写真だけ見ると、どうして子供が顔を歪めているのか、よくわからない。
 でも、一の写真の次に、二の写真を持ってくると、それを見た人は、この二つの写真によって、子供はお腹が減っているんだな、とゆうふうに思ったりする。
 それで、今度は、一の写真の次に、三の写真が置かれているとすると、それだけ見た人は、この子供はお腹が痛いんだ、と思ったりするんだ。
 本当のところは、どうして子供が顔を歪めているのか、聞いてみなければわからないし、一の写真は同じなのに、それに続く写真で、見る人によって意味が作られる。
 映像と映像の間、映画と観客の間に意味が生まれる、とゆうか、映像や印象が生まれると言ったほうがいいのかもしれない。
 昔見た映画を十年くらいたって、もう一度見てみたら、全く違った映画に思えた、とゆうのもモンタージュの一つだと思う。十年たって変わったのは映画ではなく、その人なんだけど。
 数学では1+1=2だけど、映画や芸術では1+1は3であったり、プラスではなく二乗されて並べられてたりするんだ。案外そう言ったことに意識的な人は少ないよ。

 特に、日本では映画は芸術とゆうより、娯楽活劇の事だから。演劇の場面を変えるように使われているカットをモンタージュとは言えないかもしれない。映画の歴史と言えば映画産業の歴史で、限られた人しか映画は作っていないから、まだ映画独自の表現でやられていないことがあるかもしれないよ。やっぱり、ヨーロッパの映画なんかの方が映画的な映画を作ってるよ。」
「ゴダールとかそうだと思うけど、ハリウッドとかはどう思う。」
「ハリウッドは、とにかく一番今でも多く作ってるから、いい映画もあれば、あまり面白くないのもあるって感じかな。SFXやアクションも映画的なものだと思うし、たまに見る分にはとっても好きだよ。でも、SFXとかは、おれたちがやろうとしている事とは同じ映画でも、全く別物だよ。ブライアン・デパルマの『カリートの道』って映画があるんだけど…。」
「あっそれ、アル・パチーノがでてるやつでしょ。」
「そうそう。一番最初に、アル・パチーノが撃たれて運ばれていくシーンが出てくるけど、最後にも全く同じシーンが出てくるでしょ。」
「ああ、確かにあれはそうだ。同じシーンが違った文脈で使われてる。あれって、ニューヨークの話だよね。」
「うん。あれは、スパニッシュ・ハーレムの雰囲気が良く撮られていたよ。でも、あの、スパニッシュ訛りの英語は、聞いているとなにか可笑しいけど、銃で人をすぐ撃ったりする、アグレッシブなところが、アンバランスで何とも言えないね。コミュニケーションの取り方を間違えると危ないとゆうか…。」
「わかるけど、移民とかは皆そうでしょ。私達もニューヨークで英語とか普通に話していても、少しはあんな感じなんじゃないかな。言っている意味と、表現が合っていなかったりするのかも…。」

「あのさ、モンタージュの事で思ったんだけどさ、私、パンフレットとか編集する時に、写真とかを色々組み合わせを変えたり、コピーやヘッドラインを決める時、入れる言葉の順序を入れ替えたりするのって、モンタージュみたいだと思ったんだけど。あと、コラージュとかもそうだし…。」
「うん。意識的に良く考えられて編集された本とかはそうだと思うけど。」
「あと、それって、やっぱり、エイゼンシュテインとかサイレント時代の映画でしょ。」
「そうなんだ。言葉ではなく映像だけで、何かを伝えようとしていたから…。すぐサウンド映画になってしまったんだ。
 でも、映画が誕生したのは、今から百年くらい前で、エイゼンシュテインはソ連の監督だけど、時代的にも、ソビエトが連邦を形成する際に娯楽としてではなく、プロパガンダとし映画は用いられたはずだから、モンタージュには強烈な何かがあるかもしれないよ。 ソ連の様に多くの民族や言語を超えて情報を伝えるには必要だったのかも。
 ただ、映像を言語として用いるのにはやっぱり限界があるし、プロパガンダとかじゃなく、これから翻訳なしでわかりやすい、コミュニケーションとかのために、もう少し映像表現を考えてみてもいいと思うよ。
 映画の歴史は二十世紀の歴史とほぼ重なるわけだけど、二十世紀ほど戦争が行われた世紀もないわけだし、その事についてもやっぱり考えておいた方がいいかもしれない。映画は文学と違って、欲望や理想、記憶、冒険とかを具体的にスクリーンの上に写し出すことを可能にしたメディアだけど、ファシズムなんかは特に、国家のあるべき姿の幻想に向かって突き進んでいった結果、起こったものだから。
 二十世紀の印象派以降の芸術を見てはっきりわかる流れは、リアリズムから、平面の上に描かれている幻想を意識させる方向に向かってるんだ。絵のイメージを見ている、とゆうのと同時に、そこに絵があるとゆうふうに。
 だから、映画なんかでも、二時間、我を忘れて楽しむエンターテイメントがある一方で、途中で、文字や黒味を入れたり、モンタージュとかを使って、今映画を見ている、とゆうのを意識させたり、思考する為の道具としての映画とゆうのも、もっとあっていいと思うんだ。とにかく、今は映像が溢れていて、物事を考えさせない方向に映像が使われていると思えるんだ。その事と、簡単に空爆が起こったりする事とかと、何か関係がある様な気がする。ニューヨークなんかでも、若い奴らは日本といっしょなんだ。何が起こっても、自分には関係がないって感じで…。
 あと、今言った事と矛盾している様だけど、そうではなくて、映画には音楽と似たところがあって、映像だけを見てれば、歌詞がわからなくても、外国の音楽を聴くことができる様なところがあるけど、もともとコミュニケーションとゆうのはそういったものかもしれない。
 きちんと自分自身の意見を言う事ができる、とゆうのは大切なんだけど、外国とかではかなり語学力がないと、そうゆう事はできないし、そうなると限られた人しかそうゆう事はできない。でも、スポーツをいっしょにやったり、絵を見ながら話すみたいな事だったら、外国行ってから、すぐにでも案外、自分でも思ってた以上にできたんだ。
 エイゼンシュテインは歌舞伎とかについても書いているよ。あれは、見てるだけでわかるからモンタージュと似たところがある。ゴダールはカメラのアングルによるモンタージュについて最近言ってたけど、エイゼンシュテインはリズミック・モンタージュ、オーバートーン・モンタージュ、知的モンタージュとか、リズムやフィルムの長さ、動き、内容とか、色々な種類の組み合わせのモンタージュについて考えてたんだ。

 そう言えば、知美たちが撮ってきたフィルムだけど、芸術の生まれる瞬間って、さっき知美が言ってたけど、最後に哲也君がゆり子のことを撮ったショットと、何か関係があるような気がするんだけど…。」
「え?」

 ゆり子は笑いながら、ベランダの方に歩いて行った。やっぱり笑い方が普通の日本人とは少し違う、と龍介は思った。少し照れる感じで、唇を閉じたまま横に大きく引っぱるようにして笑ったのが、涼しげだけれど、表情が豊かなのだ。ゆり子は一見すると普通の日本人だけれど、近づくと目が緑色をしているのがわかる。本人はクオーターだと言っていた。
 龍介の部屋のベランダからは、隣にある小さな公園の緑が見える。右手の方は住宅地がずっと続いていて、ゆるやかに傾斜していてる。遠くに、学校や集合住宅がいくつか建っていて、ゴルフの練習場の向こう側には電線をつないでいる鉄塔がいくつか見える。遠くの方の雲は、もう夕暮れに染まり始めているけど、すぐ真上の空はまだ青空のままだ。

 平沢ゆり子はブラジルで生まれて、中学まではブラジルの日本人学校に通っていた。父親は日本人でブラジルで宝石商をしている。母親がハーフなのだが、日本人と白人か、スパニッシュとのハーフなのか、龍介達はそこまで詳しく聞いてないのでわからない。ブラジルでミュージシャンをしているそうだ。だから、子供の頃から、ゆり子は楽器を弾いたりして、音楽に親しんで育ってきた。高校の途中から一人でニューヨークに住んで、ニューヨークの音楽大学に進んだ。その頃、ニューヨークの大学院に二年間留学していた森本哲也と知り合って、今も交際が続いている。ゆり子は、ニューヨークの音楽大学を卒業した後、中央線沿線の音楽大学の大学院に入って、今はポルトガル語、スペイン語、英語の翻訳と、数年前に開局した、FM局でDJや作曲などの仕事をしている。知美と知り合ったのは大学院の頃だ。
 知美と龍介は、龍介がまだニューヨークにいた頃、知美とゆり子がニューヨークに旅行で滞在していた時に、ゆり子の友達を通じて知り合った。龍介はブルックリンに住んでいたこともあって車を持っていて、その時二人を結構、親切に色々な場所に案内した。
 その時、龍介はもうしばらくニューヨークにいたいんだけど、なにかFBIかCIAとか、そういった組織に監視されているような気がする、とわけのわからない事を知美に言っていた。知美は変な冗談を言う、変わった人だと思ったが、龍介はそれを真面目な表情で話していた。
 あと、オウム真理教の事件は、ただでさえ貿易問題とかで日米間が悪化していたところに、宗教観とかそういった事に関してまで、日本人に対する信用に、計り知れないダメージを与えてしまったはずだと話していた。普段、夕方のニュースでは全くといっていいほど、日本の事など報道されないのに、神戸の震災とオウムの事件はトップニュースとして流れたのだ。龍介がニュースを見終って、近くのグロッサリーに買い物に行くためにエレベーターに乗ると、乗り合わせた隣人の女性は、すでにオウムの事件の事を知っていて、いったい何なのあの事件は?といった感じで変な顔をしていた。
 ワールドトレードセンター、オクラホマ、TWAなど、テロはアメリカにとって常に深刻な問題としてあるし、全体的な傾向としても、新移民法など、移民や外国人に対して、昔ほど合衆国は好意的ではない方向に向かっていた。ただ、ニューヨーク市は別で、推定四十万人と言われる不法移民がいて、真面目に働いて税金を払っている人がいる事と、合衆国はもともと移民の国だとゆうことで、ジュリアーニ市長は合衆国の政策には反対をしていた。

 龍介の部屋には、五つ本棚があって、日本の小説、人文、社会科学関係の本、雑誌、外国の本や雑誌など、色々な種類の本が置いてある。本の他にもビデオやCDもかなり置いてある。二部屋とダイニングキッチンがある部屋は全体としてがらんと何もない感じで、三つほど段ボールがあって、その中にはニューヨークにいた時にずっと買っていたとゆうアート関係の雑誌がぎっしり入っている。知美がこの本全部読んだの?と聞くと、そんなに全部は読めないよ、と言っていた。壁に紙などの作品を入れるポートフォリオが二つ立てかけてある。日本に帰ってきてから、あまり作品は作っていない感じだ。あと、まだ半分ほど本や画材や色々な荷物を百ドルで借りているニューヨークの倉庫に置いてあるらしい。
 本棚の上に茶色い袋が置いてあるのを見つけると、知美は歩いていって袋を手とってラベルを見た。
「あっ、アラビアン・モカ・ジャバだ。」
「え?ああ、コーヒー。」
「どうして、アラビアン・モカ・ジャバなの。」
「どうしてって…、この前、飲んでおいしかったから。」
「これ、香りがすごくいいでしょ。」
「ああ、そうそう、香りがすごくいいね。」
「世界で始めてブレンドされたってゆう、伝説のコーヒーなんだって。うちのすぐ近くにもあるから、よく色々なの飲んでるんだ。コーヒー入れようね。」
 
 ちょっとエキゾチックで深みのある、独特なコーヒーの香が部屋いっぱいに広がり始めた。とりあえず少し休憩とゆう感じで、三人とも少しくつろぐことにした。
 
 ゆり子は本棚にある本を眺めていたあと、色々ある英語の本の中から『Literature(文学)-Reading Fiction, Poetry, Drama, and Essay』とゆう六センチはある分厚い本を取り出して、ページをめくり始めた。

「これ、たぶん私の学校でも使ってたやつじゃないかな。ちょっと、内容が違うみたいだけど。あっ、落書きが色々してある。」
「それ、おれが書いたわけではないよ。学校のブックストアーで買った古本だから。いくらって書いてある。」
「二十六ドル二十五セント。」
 トルストイ、ジョイス、カフカ、ロレンス、ヘミングウエイ、ミシマ、マルケス、ブレイクなど、いわゆる世界の名作を集めてある全集本で、かなり大きさもある。

「それ、英語氓チてゆう、普通の大学の一年生が取る、英語のクラスで使った教科書なんだけど。最初、留学生が取る英語のクラスを一学期取って、テストにパスしたあと、受講したんだけど、欠席せずに授業に出て、カフカの『変身』の感想文やレポートとか書いたにもかかわらず、パスできなかったんだ。ゆり子の学校とかはどうだった?」
「私もけっこう、一般教養のクラスとかは大変だった。でも、私は高校の時がやっぱり英語は話したことがなかったから。」
「そこにある、小説とかはすらすらと読める?」
「すらすらとは無理だけど、だいたいって感じかな。きちんと翻訳とかする時は、もちろん辞書を引かないと無理だけど。」
「おれもそう、だいたい。とにかく量がものすごいから。百三十五単位ある中、スタジオ以外のクラスが六十単位ぐらいあって、英語のそのクラスは三単位だったんだけど、Fがあまり成績について、平均点が下がると退学になってしまうんだけど、incompleteって、もう一学期同じ英語氓チてやつを受講してなんとかパスしたんだけどね。その変わり、おれはアートのクラスでAをたくさん取ってたから。先生によって厳しさがだいぶ違って、最初の先生は、英語の詩とか好きな女の先生で、変な英語は耐えられないって感じで、その次の先生はちょっと大目にみてもらった感じかな。
 おれはその本は売らずに持ってたんだけど、この前、ちょっと読んでたら、ウッディ・アレンの短編小説を見つけたんだ。」

 ゆり子は索引からWoody Allenを探し、その短編のページを開いた。
「The Kugelmass Episode…。ほんとうだ。これ読んでみた?」
「うん。さえない大学教授が主人公なんだけど、マジシャンに精神分析を受けに行って、その治療法が、何でも好きな小説を持ってきて、箱の中にその本といっしょに入ると、その小説の中の世界に入れるって話なんだ。自分の好きな主人公に会えたりするんだ。でも現実の世界との間でトラブルが起こったりして…。」
「あっ、それって、あれじゃない。『カイロの紫のバラ』の小説バージョンじゃない。」
「おれもそう思った。どっちが先なのか、たぶん、小説が先に書かれたのかもしれない。あと、けっこう、ギンズバーグとか、絵と詩の作品とか、やっぱりアメリカの自由な文学作品とかも載っててその本、おもしろいよ。それより…。」
 
 龍介はコンピューターを再び起動して、Real Audioとゆうソフトを立ち上げた。そして、いくつかあるファイルの一つをクリックすると、ビー、ビー、ブー、ガラガラガラと、例の大気圏を突破するようなインターネットのつながる音がして、コンピューターの小さいスピーカーから詩の朗読が流れ始めた。アレン・ギンズバーグ本人による『A Supermarket in California』の朗読だ。

「これ、どこで見つけたの。」
「ん。ヤフーで。アメリカの詩のところで見つけたんだけど。あとね。」
 今度は92nd St. Yとゆうカルチャーセンターのようなサイトにアクセスして、また、ファイルの一つをクリックすると、七十年代くらいに、スーザン・ソンタグがナボコブとゆうロシアの亡命詩人を紹介しているスピーチが流れはじめた。
「本当にインターネットは急速に進歩してる感じね。もう、映像も見れるし。」
「知美のコンピューターだったら、見れるでしょ。おれのは、メモリーが少ないからダメだけど。でも、これでもニューヨーク・タイムズやCNNとか ABCのニュースを見れてしまうのだから、ほとんど情報に差がなくなっているとゆうか。」

「おれ思うんだけど、ビートの詩はサウンドが大切だよ。詩は俳句でも短歌でも、なんでもそうだけど。おれがまだ、ニューヨークにいた時にギンズバーグは死んだんだけど、とにかく、ノートを持ち歩いてて、公園とか、どこででも書いて、すぐ朗読とかやってたみたいだね。あんまり読んでないからよくは知らないけど、そうゆう自由なところは本当にいいと思うよ。ところでさ、どうしてラップは黒人の間で生まれたと思う?」

「うーん。やっぱり言うことが沢山あったからじゃないかな。あと、さっき聞いたビートとかとも関係があるのかも。」
「私の感じだと、サンプリングとかサウンドイフェクトと関係があるような気がする。ほら、ラップをやる人の動きって、ロボットみたいだし、ラップそのものも、すごく普通の人の話し方より、機械みたいに早くて何言ってるのかわからないじゃない。」
「うん。これ、おれの人類学の先生がいつもみんなに聞いてた事で、おれもよくわからないんだ。でも、クラシックから続く現代音楽は別として、ロックやジャズやパンクとかの後に、八十年代から九十年代に生まれた新しいジャンルの音楽って、ラップぐらいだと思うんだ。評価しない人はいるけど、ジャネット・ジャクソンの『if』って曲なんかは本当に力があると思うね。ああゆう音楽を聴くのはやっぱり体力の問題だと思うよ。強いビートを普通に体の中で処理できる、気力みたいなものかもしれない。ジャズなんかでもそうだし。」

「あと、さっきサンプリングが関係があるって、ゆり子が言ってたけど、テクノロジーの影響だと、絵画だとベーコンとか映画に影響を受けてるんだけど、川端康成も絶対そうだね。『掌の小説』って短編集を読んでから、なんかそんな気がしてたんだけど、『雪国』の冒頭の五ページの中で映画の二重写しのようにって出てくるし。」
「国境を抜けるとそこは雪国だった。夜の底が白くなった…、てやつでしょ。」
「読んだんだ。」
「私は川端康成は好きで、『伊豆の踊子』とか『古都』とかも読んでるよ。確かに映像が美しいし、だから翻訳でも読めてノーベル文学賞を取れたんでしょ。」
「でも、『美しい日本の私』って言ってたけど、シネマトグラフィやオーバータップの技術はフランスだよ。フランスを通した日本かもしれない。昔、日仏現代美術展で、水墨画こそ日本の心なんですって、フランス人が日本の人に言ってたけど。
 だから、海外で認められるのは、海外の人が求めてる日本だから、ちょっとは考えないと。まあ、川端とかきちんとしたのが認められるのはいいけど、最近、変なものが、日本文化として、紹介されたりすることがあるのも事実だから。
 日本でもそうだよ。アメリカ文化だと、何故かポップやザブカルチャー的なものばかりが紹介されて、合衆国には本当に知的で力のある作家がいるのに、あまり知らない人が多い。
 ニューヨークにも、たくさん作家や知識人が住んでいて、アメリカ人以外にも、ロシアやチェコ、キューバ、パレスチナとか、いろんなところから移民してきて、本当に書くべき状況のある人が書いたり、講演とかやってるからね。やっぱりそうゆう点ではすごいところだと思うね。」

「日本の作家とかはどうなの。」
「小説だったら、日本の作家の方が多く読んでいるよ。おれ、高校ぐらいまで、あまり本は読まなかったんだけど、やっぱり物語とゆうことに関しては、文学の方が歴史があるから読むようにしたんだ。それで、まず本屋に行ったらよく置いてある、村上龍とか村上春樹、山田詠美、吉本ばなな、島田雅彦とか、ありがちだけど、現代の作家はよく読んでるよ。あと、北方謙三や五木寛之もそうかな。村上春樹は、映画監督の大森一樹が『風の歌を聴け』ってゆうのを映画化したりしてたから、かなり前から読んでたね。日本映画も本当に最近のはあまりよく知らないけど、ATGとかディレクターズ・カンパニーの監督とかのは、結構好きで見てたよ。知美とかは、本とかどんなの読んでるの。」
「最近はそんなに読んでないけど、私も村上春樹や吉本ばななは読んだ。あと、椎名誠とか。漫画とかも読むけど、あと、坂本竜馬とかの時代小説とか、北杜夫とか、遠藤周作とか、あと、夏目漱石とか、けっこう、古い作家とかも読んだりしたかな。」
「夏目漱石の『こころ』とか、おれ中学の時に読んだよ。おれ、バスケット部に入ってて、バスケットの試合を待っている間とかに読んだんだ。中学の頃とか、なんか美術部にも入ってて、勉強との両立とか、やたら忙しかったような気がする。その頃、夏目漱石は何冊か読んだけど、『こころ』はただ読んだとゆうのしかほとんど覚えてないな。
 最近、また川端とか、芥川の短編と、村上龍の『料理小説』ってゆう短編を読んでたんだけど、川端とか芥川は文学史にでてくるから凄いと思ってたけど、文章のうまさとかは、それほど変わらない感じがした。日本の現代の作家は、日本の文化の中では、テレビドラマや映画と比べると、内容的にはおもしろいと思うよ。
 あと、芥川の中後期の作品は読んでなかったんだけど、エッセイに近いのもあるね。芥川は後半、自分のことを、詩人兼ジャーナリストと言ってたんだ。『実践倫理批判』とか『蜜柑』とかだけど、知美は読んだことがある?」
「それは知らないけど…、芥川龍之介は『蜘蛛の糸』とか『羅生門』とかは教科書で読んだけど。」
「『地獄変』のあたりでしょ。ああゆうのは、本当に良くできた文学作品とゆう感じがする。」

「私、『蜜柑』は好きだな。」
「え。ゆり子、ブラジルの日本人学校で読んだの。」
「ううん。ニューヨークの本屋で買って。ほら、5th.Avenueと49th Streetのところに、大きな本屋あるでしょ。何て言ったっけ。」
「紀伊国屋。」
「そうそう。」
「そうなんだ。あと、35streetの所にもかなり大きな日本の本屋があるしね。今、ニューヨークはものすごく多くの日本人が住んでるから。哲学とか、人類学の本とかも置いてあって、日本ではあまり読まなかった難しい本とか、たまに買って読んだりしたよ。英語の本を読むような感じで読めば、難しい言葉があっても気にならないし。
 おれは取ってなかったけど、新聞も同日で読めたし、テレビやインターネットももうあるし。その気になれば、メディアを通した情報なら、日本と変わらないよ。」
「そうか。この前行った時も、日本の人たくさんいたもんね…。『蜜柑』ってどんな感じの作品なの?」
「すごく短い作品。うーん、さっきも言ってたけど、エッセイみたいな感じかな。芥川は最初、電車を待っていて、すごく不機嫌な感じなの。汚職とか、死亡事故とか、日本の社会は暗い事件ばかりが起こってるの。今の日本と少し似てるかも…。それで、電車に乗ると、すごく田舎くさい娘が乗り込んできて、芥川はさらに、その娘に対して不機嫌になるんだけど…。とにかく、最後、その娘が電車の窓から、見送りで待っていた弟たちに、蜜柑を投げるところが、すごくいいの。」
「ふーん。龍介それ持ってる?」
「うん。持って帰って読めばいいじゃん。あと、ウッディ・アレンの小説もコピーしてもいいよ。」

「あと、おれ、ごく最近の日本の作家はよく知らないんだけど、多和田葉子ってゆうのが、ドイツで朗読会を何回もやったってゆうのを、雑誌で読んだんだけど、おもしろいと思ったな。近くの本屋になかったもんで、きちんと読めてないんだけど。ドイツとかは、企画書を国に提出すれば、小説を書く奨学金をくれるらしいんだ。
 あと、びっくりしたのは、パンクの町田町蔵が作家になってた事だな。町田康って言うんだけど…。」
「その人たぶん、新聞か、雑誌で少し読んだような気がする。パンク歌手だったのはよく知らないけど、すごく貧乏な友達とかの話を書いたりする人でしょ。」
「たぶん、それだよ。評論家の福田和也って人が、あれは無頼派の正統だとか言ってたけど、フランスの映画監督のカラックスなんかも似たような感じがするな。『ポンドフの恋人』とか。あと、印象派の画家もボヘミヤンな生活は有名で、文学に限ったことではなく、芸術家は、昔から無頼な生活を送っていた人が多いんだけど、ゴーギャンはタヒチに引かれていたんだし、ゴッホはただ、貧乏で仕方なくそうなってただけだから。画家になる前は伝道師だったから、それもあるのかもしれない。とにかく、人それぞれなんじゃないかな。」
「無頼派って、あとどんな人がいるの?」
「太宰治とか坂口安吾とかだけど…、やっぱり何てゆうんだろう。自然主義とか、川端が新感覚派だとか言っても、それだけでは何がなんだか分からないね。文学は特に、いろんな要素を含んでいるから。」

「でも、八十年代のパンクのギグは過激だったみたいだね。おれ、数カ月だけだったけど、夜間清掃員もやってたことがあるんだ。昔、吉祥寺のアパートに住んでた時に、十分くらいで職場に行けるのと、昼間、自然光で撮影しようと思って。ほとんど、体が持たなくなってそれは止めたんだけど。
 それで、その時、職場に長髪のバンドをやってる奴とかがいて、ほら、髪が長いと普通の仕事だとできなかったりするから。グラムロックをやってるとか言ってたな。今どうしてるのか知らないけど、アンティノックとか鹿鳴館とかでライブやったりしてて、一度、職場のみんなでライブを見に行ったりしたんだ。みんな比較的、学生とかで若かったから。
 それで、休憩時間とかに、色々な話をしたんだけど、ぐったりした感じで、パンクの奴らは気違いだ、あいつら金にもならないのに、角材とか持って殴りあったりしてるって言ってたよ。別の知り合いで、パンクのギクに行った人も、ライブの間中、観客どうしが、ずっと殴りあってたとか言ってたし。でも、不思議なことに、そうゆう事って、普通のテレビや雑誌には、全然載ってなかったんだ。まあ、すごくアンダーグランドだけど、それも、八十年代後半の、東京のアートシーンだね。
 町蔵のはもっと、文学的だったのかも知れないけど。今でもそうだけど、日本のマスコミの二重構造みたいなものは、ずっと前からあるよ。オウムとかがあんなふうになってるのを、誰も事件が起こるまで知らなかった事とよく似てるよ。
 あと、東京に出てきて驚いたのは新聞の勧誘だね。おれの学生の友達とかも、みんな被害にあった事があるみたいで、押し売りみたいに、一度ドアを開けたら帰らないんだ。記事ではすごく良識的な事を書いているくせに、勧誘はヤクザみたいだったんだ。知美とかは、そうゆう目にあったことない?」
「ああ、でも、私ドア開けないもん。」
「私も知らない人が来ても、絶対ドアは開けない。」
「うん。それが一番だよ。おれはドアを開けちゃったんだな…。あと、普通の人が聞いたら、えっ?て思うような、大新聞社の人間が、ダフ屋に裏で金渡して、プロ野球のオープン戦のチケットを取って、大企業とかにばらまいてたのも知ってるよ。まあ、一種のリベートってやつだけど。一日だけ、休みの日に知り合いから電話が掛かってきて、チケットを取るのに並ぶだけの仕事をやってくれないか、とか言われて。最初、そんな変な仕事断わろうと思ったんだけど、だた座って本を読んでればいいと思って引き受けたんだけど。それがとんでもないことになって…。まあ、某夕日新聞とだけ今は言っておくよ。おれは、基本的に、あまり日本のマスコミの人間は信用してないんだ。
 
 それと、町田町蔵は『ロビンソンの庭』って、山本政志監督が撮った映画に出演してたんだけど、ひょんな事から、その脚本を書いた山崎さんって人の家に行って、ラムを食べた事があるな。それが当時の出来事としては妙に印象に残ってる。山本政志監督は『闇のカーニバル』って映画とか、すごく過激で成人指定じゃないと公開できないような映画を作ってたんだけど、その山崎さんは全然そんな感じはない人だったな。北海道の人で、ラムを山ほど食べさせてもらったのを覚えてるよ。それまで、ラムの肉をたぶん食べたことがなかったんだ。
 その人、確かパルコかどこかの出資で、劇場公開用の映画を一本撮ったとか聞いたけど、その後どうしてるのかなあ…。まあ、以前に比べると、日本も不況だし、ついにセゾン美術館も閉館してしまったしね。一時代が過ぎたとゆうか。」
「わたし、あそこでグスタフ・クリムトの本物を見たな。何て言うんだっけ。生乾きの壁に、水彩で描いていく技法。」
「フレスコ。」
「そうそう。フレスコ。図版で見ると、すごくグラフィックな感じなんだけど、けっこう本物は線とかがぼやけてて、やっぱり絵を見ている感じがしたな。でも、あんな大きな美術館でも、閉館しちゃたよね…。」
「うん。惜しい美術館をなくしたよ。東京もあの調子で景気が良かったら、変な大衆文化や、新興宗教ではなく、本当の芸術が生まれた可能性だってあったんだ。
 今は反動的とも言えるような、保守的な感じがするよ。閉鎖的とゆうか。
 おれが前に吉祥寺にいた時は、もっと東京は国際都市とゆう印象があって、やっぱりもっと楽しい雰囲気があったね。
 近くのバウズシアターに、イギリスの映画監督のディレク・ジャーマンがやって来たりしてた。真っ黒な服を着て、とんがり帽子を被った、魔女の様な女の子とかが、バラの花束を持って会いにきたりしてて、ちょっと異様な感じだったな。バウズからサンロードまで人が溢れていて。
 でも、ディレク・ジャーマンはゲイだから、何を考えてたんだろうって感じだけど、おれもゲイではないけど、独特な映像センスがあったし、インディペンデントの映像作家で、絵も描いたり、プロモーションビデオや、短編映画だけのコレクションを上映したりしてたから、好きな監督の一人だったんだ。
 ディレク・ジャーマンはよく、音楽にサイキックTVを使ってたけど、この前見せた短編映画は、音楽はサイキックTVを使ってたんだ。金を取らないワークショップだけで上映する目的だったし、映像の質が悪いから、この先、人に見せる気は全くないけどね。
 当時、浅田彰がサイキックTVのリーダーに雑誌でインタビューしていて、かなりとゆうか、ほとんど神秘主義のバンドだったけど、サイキックTVとゆうバンド名はジョークの様なもので、自分達のやっている音楽はサーカスティズムだと言ってたな。サーカスティズムとゆうのは風刺とか、アイロニーよりも、もっと世間へのあて擦りの強い表現のことだと説明していた。考えてみれば、イギリスの芸術は、正統な流れがある一方で、そうゆうのが多いよ。バラードやベーコンなんかも少しそうだし。
 それで、その時、たくさんフィルムを撮影してあったんだけど、どうゆうふうに自分の作品を方向づけようか、編集の前で決まってなくて、自分もそれでやってみようと思ったんだ。当時は、バブルだったから、そうゆう表現が合ってるような気がしたんだ。今は逆に、現実の方がサーカスティックだから、そうゆうのはもう、たくさんだって感じだけど。
 あと、それから少しして、ヤン・フートが神宮前のワタリムで、最初、『視覚の裏窓展』ってゆうのをやった時、アイロニーが一つのテーマで、異常性やサーカスティズム、シニシズムとかは、いつも表に出ていて、アグレッシブな表現になったりするけど、アイロニーはもっと後ろの方に隠れているとか言っていた。日本語だと、皮肉って意味になるけど、少し違って、批評眼とユーモアーの間で、ルネ・マグリットとかがそうなんだ。やっぱりベルギーは、あんまり大きな国じゃないから、国の置かれている状況から、そういった表現が生まれたのかもしれない。」

「あの、日本の作家のことだけど、最近とゆうか、ちょっと前だけど、大江健三郎がノーベル賞を取ったでしょ。『曖昧な日本の私』だっけ。」
「ああ、取ってたね。でも、ノーベル賞ってどうゆう基準で選ばれてるんだろう?」
「うーん、わからないけど、ダイナマイトの利子が賞金になってるとか、聞いたけど。」
「まあ、とにかく、大江健三郎がノーベル賞を取ったところで、日本人の大半は大江健三郎の小説を読んだことがないと見たね。なんでも、日本は今、ゲームの時代らしいから。文学の次は映画で、映画の次はテレビで、テレビの次は、今はゲームの時代だってよ。まあ、ゲームがいいか、悪いかは置いておくとしても、日本語の読み書きも、ろくにできない奴が増えてきてると思うね。」
「龍介は大江健三郎、読んだことあるの?」
「あるよ。題名は覚えてないけど。新宿駅の西口に浮浪者がいて、主人公がその人に会って、話を聞くとか、そんな話だったと思うけど…。」
「それって、町田康じゃないのー。」
「いや、大江健三郎だったと思うよ。近くに新設の図書館ができて、そこで読んだんだ。雑誌や新聞や最新の画集とかも揃っていて、外の光が地下に入る、いい図書館ができたんで、そこにたまに行くようになったんだ。部屋は狭いから、本を読むのは図書館の方が気持ちがいいし。金を節約していて、ハードカバーの本も買うと結構高いからね。その西口の浮浪者は坊さんか何かで、すごいインテリなんだ。それで、聖パッパーレ、修行僧よ、すべては過ぎ行くものだ、怠ることなく修行せよ、とか書いてあったのを覚えてるよ…。 あと、木を切る様な、環境問題的な、村の祭か何かの話もあって、確かに大江健三郎だったと思うけど。題名は覚えてないな。」
「あのさ、やっぱり、わたし達、あんまりのんびり喋ってないで、自分たちの作品、もうそろそろ作ったほうがいいと思うんだけど…。」

 しばらく、休憩を再び取ったあとで、ようやく三人は、映画の制作に入った。
 龍介がやっぱり、とりあえず大体の方向性を決める意味でも、主題を決めたほうがいいとゆうので、三人で知美とゆり子の撮影してきたフィルムの中から、いくつか見つけだしていった結果、とても、単純な三つの主題、『芸術の生まれる瞬間』『愛の物語』『都市と森』に絞ることにした。
 そして、普通に、ストーリーが進んでいく映画ではなく、だいたい、映画全体が三つの章からなる、映像で綴った本のような作品を今回は作ることになった。
 最初に撮影した映像も、短編の映像詩として見たら、それほど悪くないような気もしてきたので、その印象を無くさないように気を付けて、イメージをもっと膨らませていく方針で、しばらく、章ごとに、一人最低でも五つは映像的なアイデアが出るまで、それぞれ分かれて考えることになった。

 しばらくして、もう一度集まった時、一番多く、アイデアを出してきたのはやはり知美だった。でも、今回は龍介もいくつか、おもしろい映像を考えていたし、ゆり子は、映像と音楽に関する、かなり変わったアイデアをいくつか提案してきた。
 ただ、お互いアイデアを言い合っているだけでは、また、わけがわからなくなる、とゆうことで、カードに簡単な言葉でシーンのメモなどを書いて、それを色々並べ変えたりしながら、しばらく話し合って、なんとか、そのまま撮影していけば、一時間半ぐらいの一本の映画になるだろう、とゆうところまで持っていった。
 また、今回の映画は、やはり知美が撮影などに関して、最終決定を行なって進めていくことになった。
 部分的にナレーションや台詞も入れることになって、三人で決めただいたいの内容を、龍介が撮影までに書いて、メールで送ることに。また、あとで、本当にいいアイデアが浮かんだら、今回の映画に使うかどうかはともかく、また、メールをお互い送り合うことにして、夜の十時を過ぎた頃、三人は作業を終えた。

 帰り道、龍介もいっしょに、駅まで歩いて、送って行くことにした。途中のコンビニで、ウッディ・アレンの短遍小説をコピーしてから、知美とゆり子は帰っていった。

 電車の中で二人は、龍介の部屋で今日は充分過ぎるほど、話していたこともあって、二人とも静かに、のんびりと、座っていた。
 ゆり子はぼんやりとした感じで、ウッディ・アレンの小説を、眺める感じで読んでいた。
 知美は特に何もしないで、電車に乗っている人達を眺めながら、最近、東京の人はやっぱり、みんな少し疲れた感じがするな、と思い、ずっとコンピューターの前で、タイプを打ったり、編集の作業をして、過ごしている日々のことを思った。
 
 でも、昨夜仕事を終えてから、今日の映画の制作まで続いている、いい感じがまだ残っている。映画の制作はまだ、始まったばかりだし…。

 知美は窓に写った、自分の顔や電車の車内の様子などを見ながら、今日、映写機で見た映像や、壁に反射していた、波動の様な光について考えていた。
 電車は夜の街を通り抜けている。
 閉店したデパートや会社の部屋の中に見える、電球や蛍光灯の光。水銀灯や家やマンションの部屋の灯り。
 空にはいくつか星がでているのが見える。
 
 地球から、見えている星の中には、百万光年離れている星もたくさんあるとゆう。
 百万光年離れているとゆうことは、今見ている光は、百万年前の光だから、今見ている星はもう、何万年も前に消えてしまっているのかもしれない…。
 
 忘れないうちに、片山さんの会社に、サンプルを送っておかないと…。
 
 下りの特急電車が、ブァン、とゆう音と風圧とともに、知美の乗った電車のすぐ近くを、物凄いスピートですれ違って行った。






(注)この作品はやや思い付きで書いている部分もあるので、この章を含む全体を最終的に編集することになると思います。
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