木村伊兵衛展

 木村伊兵衛展の行われている、大丸ミュージアムの入り口で、入場のチケットを買おうと思って少し列のできている受け付けの方に歩いてゆくと、背後から少し年配の男の人が、
 「チケット持ってる?」
 と、声を掛けてきた。
 一瞬、えっと思い、こんなところに、ダフ屋がいるはずがないのにな、と思いながら
振り替えると、手に何か葉書の様なものを持っている。
 「これで、二人分、ただで入れるから」
 と言って、僕は一瞬とまどってしまったが、男の人は招待状をもらったらしく、もったいないからさ、と言いながら、とにかく、ついてこいという感じですたすた歩いていった。
 それで、結局、入場料を払わずに、会場に入ってしまったのだが、入るとすぐ、ボードに大きく「人とのふれ会い」とか書かれてあって、この先どうするのかな、と思っていたら、
 「あとは、自由に見ればいいから」
 と、その男の人は少し先の写真の方に歩いていったので、僕は少し間があったが、
 「どうもありがとう」
 と、大きな声でお礼をいって、写真を見ることにした。
 あとになって考えてみると、木村伊兵衛展らしい出来事だったと思う。

 木村伊兵衛は東京の下町の生まれで、今はどうかよく分からないが、東京の山の手の方に比べると、下町の方は家と町、職場が連続していて、垣根のない開かれた暮らしが行われていたという。
 少なくとも、木村伊兵衛が写真を撮っていた頃はそうだろう。それは、木村伊兵衛の写真を見ればすぐに分かる。スタジオで撮影されたモデルではなく、野外で、町で撮られた人々のスナップがほとんどで、しかも、人々の暮らしぶりを、すごく自然に、すぐ近くで撮影しているからだ。
 東京の浅草橋の方に、昔からある美味しい佃煮屋があるが、そこの佃煮は味がしみているけど、べとべとして甘いところがなく、さらさらしている。
 木村伊衛兵の写真からも、似たような印象を受ける。
 木村伊兵衛は、ライカを持って撮影していたというのだが、おそらく、カメラそのものも貴重品で、写真を撮る人もあまりいなくて、撮られる側も怒らなかったのだろう。
 今では、肖像権とかいろいろあるし、東京で木村伊兵衛みたいに写真を撮るのは難しいかもしれない。

 また、残念ながら、現在の東京からは、木村伊兵衛の写真とは、逆の印象を受けることもある。
 例えば、渋谷とか、新宿で、道を訪ねようと思って、「すみません」と声をかけると、多くの場合、すっと無視されてしまう。
 東京以外の地方都市や、ニューヨークでさえ、そんなことはない。
 たぶん路上での、悪質なキャッチセールスとか、しつこいアンケートとかが原因なのかも知れないが、それは、都市の病理だと思う。
 木村伊兵衛が写真に収めた、戦前から戦後の東京と比べれば、見違えるように近代的なビルが多く建っているが、近代化によって、ビジネス街と住宅地が完全に分かれていったことなどから、下町気質みたいなものは、失われた部分もあるのではないだろうか。
 僕自身も、今の東京にいると、少し神経症みたいになる時があって、また、立ち直ったりするのを、繰り返しているようなところがある。
 ちょうど、木村伊兵衛展が行われていた頃には、すぐ近くの東京駅で、コンビニの店長が刺し殺されるという事件が起きていたし、今の時代状況が、うっとおしい事もあるかもしれない。
 もちろん、気さくで、親切な人も多くいるのだが。

 それは、ともかく、木村伊兵衛の写真を見て最初に驚いたのは、写っている人々と、写真そのものの美しさだ。
 会場の壁にかけられてあったボードには、木村伊兵衛自身は、芸術写真とは関係がなく写真を撮っていたとか書いてあったが、会場に入って、さっと、展示してある写真を見ただけで、とても上質なことはわかる。
 すべて白黒だったが、コントラストや構図がどれもよくて驚く。
 あとやはり、第二次大戦直後の、東京の四ツ谷、麹町付近、新橋などの写真などだ。
 僕は東京の空襲後の写真は、『少年朝日年鑑』とかで、以前にも見たことはあったが、これほど多くの写真を見たことはなかった。
 ただ、木村伊兵衛展の写真には、残酷な写真は展示されてなかった。
 寺山修司は、以前、終戦記念日が僕は嫌いで、終戦記念日には、死体などの残酷な写真がグラビアに載るが、人間の本性に、そうした残酷なものを見たいという欲望があるからだ、という様なことを書いていたが、これは難しいところだと思う。
 例えば、湾岸戦争以降のテレビや新聞などのマスコミの傾向では、ほとんど残酷な映像や写真はでてこないので、そうしたものを隠蔽している意図を感じるので、もっと載せるべきだと思うのだが、死体などの残酷な映像に慣れてしまうというのも問題だと思う。
 人体解剖展で、ある東大の教授が、それを気持ち悪いといっていた人がいて、それは自分自身との折り合いがついていない人だとかいっていたけど、気持ち悪いと感じるのは大切なことだと思う。そうでなければ、以前、幼女を誘拐殺人して、それをビデオで撮影していた宮崎みたいな変質者になってしまう。
 ともかく、木村伊兵衛の戦後の写真には、残酷な写真はなくて、瓦れきが続く風景は、宮本隆司の撮影した廃虚のような、何か壮大なインスタレーションを見ている感じさえする。
 あと、やはり、そうした時にも、人々の暮らしはあり、その時を生きていたのだというのがわかる。
 実際には、色々な匂いや音、戦後のどさくさした雰囲気もあったのかもしれないが、そうしたものは取り除かれ、木村伊兵衛の写真は、何かヴェンダーズの語っていた「天使のまなざし」を獲得している感じさえしてしまう。
 それは、写真のマジックで、プラスとマイナスの両面があるのかもしれないが、やはり、ここでも芸術というのは、括弧入れの問題が大切だと思ったりもする。
 マルセル・デュシャンが便器をギャラリーに持ってきて、これは便器ではないとやったこととかも、その事について語っているのだと思う。

 木村伊兵衛展では、戦前、戦後の東京以外にも、沖縄や日本列島などの写真があって、着物を着ている人が、案外、多くいる事に驚いたりする。
 明治維新以降ではなく、たった五十年ほど前には、まだ街で、普段着として、着物を着ている人が、大勢いたということが。
 日本以外には、中国の奉天などの、迫力のある街の様子も写っていて、びっくりしたりする。
    
 あと、写真というのは複製芸術だけれど、写真展で見るのは、こんなにもいいものかと単純に思ってしまった。
 今回の展示のために、特別に何かプリントしたのかもしれないけれど、写真はオリジナルプリントで見るとまた一味違う。
 木村伊兵衛展の行われていた、大丸ミュージアムは、東京駅にあって、東京駅は成田空港に行く時に、あるいは、新刊線に載って地方に行く時にも通る、日本最大の分岐点的な駅だけれど、少し時間がある時に、よってみるのにいい美術館だと思う。
 大丸デパートの十二階にあって、それほど大きくないけど、左右に展示場所があって、右側の部屋を見たあと、まだ、左にも展示してあるのかと思って、結構、きちんとした展示会を見た感じもする。
 九十三年から九十四年の始めに、北斎展が行われていて、版画でもオリジナルを見ていると集中力が違うし、作品が何かを語りかけてくるわけではないが、思わぬ発見があったりする。次の年は、雪舟とかで、一度は本物を見ておいたらいいような、古典的な作家の作品をよく展示しているのだ。
 木村伊兵衛も、土門拳などと同じ様な、日本を代表する写真家なので、もし見たことがなかったら、大きな図書館に行けば、写真集があると思う。ただ、日本や、ある時代の記録を知るという目的だけでも、木村伊兵衛の写真は、一見の価値があると思う。(12/30)

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