Memory of History. 1995.

Form(words), Black ink(Intaglio) on BFK-paper, Chacoal-pencil on wall

この作品はプラットを卒業した後制作したものだ。最後の学期の終り頃、私は似たような作品を同じテーマで作っていた。しかし、それは分かりにくかったみたいだし、いま一つに思っていた。それで、作り直すことにした。簡単にいえば、これは「memory (記憶、思い出)とhistory(歴史)」についての作品だ。当時、そういった事柄を良く考えさせられる状況にいたこともある。この作品事態はなにも特に主張はしていない。私は歴史や記憶について考える、ある種のSITE(場所)や装置のようなものを作ろうと試みた。多くの場合、現代美術(contemporary art)は答えとゆうより、問いである。この作品もそうだ。

私はmemory(記憶、思い出)は個人的なもので、history(歴史)はもっと公的で共同体や国などに関係していると思う。この作品を遠くから見ると、フォームで型どられた文字が、"MEMORYHISTORY"とゆう感じでつながっているか、混乱して何とゆう言葉が書かれているのかわかりにくい。しかし、だんだん近づいて見ると、チャコールペンシルで壁に子供の様な字で書かれた " of "(〜の)とゆう文字が見える(zoom)。そして、全体を " MEMORY of HISTORY (歴史の記憶)"と書かれているようにも読むことができる。そしてまた、言葉は概念だが、" MOMORY..."とゆう文字をフォーム(型)で作ってある。したがって、言葉は物でもある、とゆうふうなことも二重の意味でメタファーになっているようにも受け取ることができる。

言葉の下にある三つの版画については、1992年にメトロポリタン美術館に行った記憶をもとに作った作品で(zoom) 、もう一度この作品に別の文脈で使ってみた。おそらく、この版画を見た人は、ある種のセンシィビリティと同時にイルージョンやリプロダクション(複製)などに対する批評的な視点を持つことだろう。
いずれにしろ、今回この作品について私が考えたことを色々語ったが、作品だけを見た人は、また別のことを思うだろう。

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