素描

プラットではいつもドローイングのクラスをとっていた。そして、鉛筆、ペン、ブラシ、チャコール(木炭)、チャコール・ペンシィルなど様々な画材を用いた、人体、静物、風景、抽象などのドローイングをいつも描いていた。日本でよく使われる言葉、デッサンと似ているのかもしれないが、デッサンとドローイングは違う。デッサンは油絵などの型にはまった下絵、習作などの意味合いが強いが、ドローイングは完成した作品として扱われ、ニューヨークではドローイングだけの展示も珍しくない。私はドローイングはペインティング(絵画)とは使用する画材なども違うし、また別のメディア(媒体)だと思う。また、ある教授が「Let's creat works of art !(作品を作れ)」と、ドローイングのクラスで言っていたが、教室の中であろうが、外であろうがアートが生まれる可能性はいつもあると思う。
私は三人のドローイングの教授のクラスをとっていた。セイラー教授、ホール教授、そしてファウスト教授のクラス。そして、本当に多種多様なドローイングのアプローチをそれぞれの教授から教わった。一番上の列の三つのドローイングは、セーラー教授のクラスで制作したものだ。彼のアプローチは最もオーソドックスだと私は感じた。ホール教授のクラスは大変だった。例えば、彼は1000枚の人体の軸を描くことを授業以外の宿題として、私達に課してきた。そして、ファウスト教授はいつもドローイングについての根本的な事柄について話していたのを私は覚えている。

私はこの中の二つのフィギュアー(人体)のドローイングが好きだ。またフィギュアー(人体)またはボディー (体、肉体)は未だ芸術家にとって有効な主題だと私は思う。プラットには人体のドローイングを行う為にとても良い環境が整っている。授業以外に自由に参加できる$1のドローイング・セッションが毎週夜に行われているし、春の学期の終りには、16人のモデルを一晩中12時間描き続ける「ドローソン」とゆうイベントもある。不運にも、私は今、人体を描くのにいい環境にいないが、またチャンスを見つけてやってみようと思う。

クラス以外で、そして今も、私は普通2、3のスケッチブックやニュースプリント・パット(再生紙)を持っていて、そこに色々好きなようにドローイングをする。私にとってドローイングはとても重要で、他のどんなタイプの作品でもそれが出発点になることがよくある。100点ぐらいまとまったドローイング・プロジェクトも制作したことがあるが、それはまた次の時にでもそのいくらかををWEBに載せようと思う。そして今、人や風景のイラスト的なドローイングを少し描き始めているが、一点だけこのWEBのデザイン/イラスト・セクションに載せてあるのでぜひ見てもらいたい。次回にはまとまったプロジェクトとして発表したい。